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【APOPTOSIS】(1/12)R15注意

公安監視網からシグナルが入ったのは―

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 公安監視網からシグナルが入ったのは、二十分前のことだ。
 ぼくのところに連絡が入ったのが、十五分前。その間に組織内のさまざまな摩擦があったのは、想像にかたくない。面子とか、責任とか、可能性とかいった、その手のつまらない話だ。
 フラグが立つ条件はいくつかある。
 ひとつ、四十八時間以上の外部との非接触、通信途絶。
 ふたつ、私的エリア内での生活変動の消失。つまり部屋を外部から観察して、水道の使用量とか、電力使用量の変動がほとんど見られなくなることだ。生活のシグナルが消失するということ。
 ここまでの判定によるシグナルは、要緊急生命保全のカテゴリーで発令される。
 向かうのは、主に消防車と救急車。
 その時点で、厚生労働省の管轄下にある生活観察人工知能は、観察ログを確認する。
 断っておくけれど、生活観察ログはプライベート空間で生じるすべての活動を記録しているわけじゃない。誰にとっても最小限のプライバシーは必要なので、普通の家であれば、複合センサはおもにリビングに設定されている。
 参照されるのは、過去二週間にわたっての複合センサが捉えた画像、音声、臭気。個人の電子的なやりとり、つまりメールとか、通話内容。処分した物、手にいれた物、参照した物のリスト。
 判断して、人工知能は追加の対応を発令する時がある。
 今回、リビングの複合センサは、いま、まさに異様な濃度での血液の臭気を感知していた。
 つまり、自殺の可能性があると。
「いいぞ、権限は掌握した。いけ彩斗。まだ間に合うかもしれん」
 彩斗というのはぼくの名前だ、木山彩斗。警部補という肩書がつくこともあるし、委託職員という言い方をされることもある。べつの言い方では、生れ落ちて二十八年目の地球上でもっとも成功した哺乳類の一人、という言い方もできる。すくなくとも、ぼくは自分を人間だと思っている。ぼさぼさの天然パーマで、栄養不良みたいな骨っぽい体だが、まだ、かろうじて人間だ。
 棺桶のなかで待機していたぼくは、上司である片岡洋二警視正の声を待たず、すでにもより偽体(AHOT)の起動シークエンスに入っていた。
 AlikeHumanOperationTerminal、遠隔操作で動かす、サイバネティクス技術で作られた偽物の体。
 わずらわしい起動チェックシークエンスが始まっている。
 視角連動。OK。
 聴覚。よし。臭気よし。腕部よし、指先よし。よし。よし。よし。もういいってば。
 ぼくは目にも止まらない速さで、確認用センサにタッチしていった。
 感覚、運動連動の基本的な部分とはべつに、拡張機能の起動シークエンスが始まっている。
 火器管制脳起動確認、チェック。異常なし。
 拡張感覚脳起動確認。
 ウェブ走査脳起動。接続よし。状況関連のウェブ情報が一覧される。道路情報。目標家屋の設計図や法的な状態。現場の可能性。第三者はいないか? 可燃性ガス使用の可能性は? 事故であれば消防とどのような協調が必要か?。
 これらの情報は、原型体感覚を混乱させないように、コンタクトレンズ型の副現実装置――現実の光景に追加情報を重ね合せて表示する、その昔に大手検索サイトが開発した技術――ではなく、拡張視覚に展開されている。
 遠隔操作偽体(AHOT)は、ぼくらが所属する『多次元機動捜査チーム』の為に用意された社会資本だ。もともとはテロ行為に対する迅速な初動捜査、情報収集の為に設定された。偽体は、主要都市部に限り、人口千人に一人の密度で配置されている。
 偽体は、義肢技術の発達で生まれた人口の体だ。カーボンファイバーと人工筋肉、各種センサと一部動物の生態脳で出来ている。原則、人の形をしているので、服を着せれば、遠目には人間ではないと気がつかないかもしれない。
 コンセプトは車両や航空機を使用するよりも早く、現場に到着し、情報収集にあたること。その任務を遂行するに当たっての障害を、速やかに排除しうる行使力を有すること。
 偽体を装備したぼくらの行動を止めるには、たぶん、軍隊を呼ぶ必要がある。
 さいわい、保管ポッドは現場から三百メートルのところに設定されていた。中央分離帯の茂みに偽装された金属殻の中だ。
 ポッドは植物の種が割れるように勢いよく開き、ぼくは外界に足を踏み出す。
 緑にあふれる住宅街。植物に覆われ崩壊しかけた高層住宅。ゆったりと広い片側二車線の道路。立派な道路のわりには車の姿はない。
 路上でコミューターモードに変形すると、両足が膝の所から割れ、収納していた小型の車輪が現れる。膝関節は反対側に折れて、人間で言えば膝の裏とかかとに相当する部分の車輪で、時速八十キロまでの速度を維持できる。瞬間で言えば百二十キロまで。カーチェイスは無理だけれど、走るよりは、断然、効率がいい。
 位置情報も進行方向も明確に把握できている。左手には、すでに三分の一くらい崩壊した、緑に覆われたコンクリートの積層構造物が見える。かってマンションと呼ばれていた構造物だ。人口減少と共に、高層住宅の需要はなくなった。老朽化したマンションは打ち捨てられ、いまは緑化領域として、ゆるゆると解体されている。プロの環築士が、爆発物と化学薬品、それに遺伝子調整植物を使用して、崩壊を演出している。たぶん、五十年くらいで土にかえるのだ。その間は酸素を生み出す工場として地球上に存在する。
 コミューターモードの偽体は、滑らかなアスファルトを疾走して、ハミングバードの操作圏内にはいった。
 ぼくはハチドリの形をした飛翔型マイクロロボット、ハミングバードを背中のパックから一体放出した。もぞもぞと自分で格納スペースから這いだしたハミングバードは、羽ばたいて地上に縛られたぼくを先行する。
 ぼくのコンタクトレンズ型副現実デバイスには、ハミングバードの稼動ステイタスがあらわれ、数値、高度と座標などが数値で表現される。同時に、ハミングバードの取得した映像が拡張視野感覚に映し出される。ぼくは街路樹の枝をかすめるようにして飛んでいる。みずみずしい木の葉や、緑に溶け込む塗装の街灯が、目の前にせまり、背後に流れてゆく。
 目標の家を確認したハミングバードは、取得した映像情報を送ってきた。
 家は、賃貸用に設計された小さな一軒家だ。単身者用なので、昇り降りしなくてはならない二階もないし、駐車スペースも一台しかない。
 駐車スペースに車はなく、赤い電動ミニバイクがとめられている。今はあまり自家用車を持つ人はいない。社会インフラとしての個人用移動車両はコミュと呼ばれ、誰でも自由に使用することができる。そのコストはちゃんと税金に含まれている。
 単身女性用のドールハウスみたいな一軒家は、ひっそりとしていた。
 はばたくハチドリの視界は、漆喰塗の白い壁に、レースのカーテンで飾られた出窓を確認している。
 ぼくは操作情報を送り、ハチドリの随意行動のみをコントロールする。はばたきとかホバリングとかは、ぼくにとっては不随意運動なので、こちらから干渉する必要はない。ただ基本運動と目標位置情報、必要な行動とかを指示するだけだ。
 ハチドリはお尻の注射筒から、ゲル状の爆発物を窓ガラスに丸く塗りつけた、そのままお尻からずるりと抜け出た電子部品が信管だ。少し離れると爆発音があって、ハチドリは窓ガラスに出来た親指くらいの穴から侵入する。
 目に入ったのは、血塗れのフードプロセッサーだ。ステンレス製の羽が、血と肉片にまみれ、少し歪んでいる。
 つぎに視界に入ったのは、血で汚れた床だ。床は無垢の白い木で、たぶん、彼女はこの部屋を気にいっていたのだろう。窓の飾りも、キッチンのテーブルも、その床も、アーリーアメリカンというのか、すごく落ち着いた感じで、くつろげるような感じがする。
 白いふくらはぎが視界にはいった。つぎに、水色の清潔な下着、上下そろいで、少女みたいな感じのシンプルなものだ。
 うつ伏せに倒れた体から、肩甲骨をこじ開けるようにして、キッチンナイフの先端が飛び出している。
 彼女はとても華奢な肩をしていたので、ナイフでこじ開けられた体は、すごく窮屈そうに見えた。
 彼女は笑うと、よく白い歯をみせていたのだけれど。うつ伏せに倒れて目を閉じている横顔は、ぼんやりと、とりとめのない表情を浮かべているだけだ。
 とりあえず、服を着せてあげたいな。でも、ぼくには無理だ。これ以上近づけない。
 ナイフの表面は、コーティングされたように赤黒いゼリーで覆われていた。
 ハチドリのセンサーでは、心音、呼吸音とも確認できなかった。 
 家の駐車場に辿り着いたぼくは、コミューターモードからヒューマンモードへ移行したけれど、家に入る気はしなかった。
 だって、もう出来ることはなにもない。
「どうなんだ? 報告してくれ。彩斗」
 専用回線で、ぼくの上司、多次元機動捜査研究室の室長、片山洋二警視正が言った。
「遅かった。ハチドリで確認したよ。このまま所轄に引き継いでもいい? ちょっと中へは……いやだな。入れそうにない」
 ぼくの声は冷静だったろうか? 震えてはいなかったかな?
「そうか、わかった。好きにしろ」
 遠くから、救急車のサイレンの音が近づいていた。
 片山警視正は、悔しげな声で言った。
「くそ、いい子だったのにな」
 死んだのは惣領かえで。同僚で、ぼくと同じ拡張能力者だった。

      続く

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