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アネビヤの婚約(3/3)終

アネビヤは暴漢にさらわれそうになります。クナリは助ける事が出来るのでしょうか。

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本文

 金を投げ、露店の物売りから杖を二本、奪うようにして手に入れた。
 金額を見ると、店主は文句を言わなかった。
 クナリは剣での戦いより、棒や短刀の方が好みに合っている。その方が素手よりも疾いのだ。
 市場を外れ、宿屋の門をくぐると、狼藉者たちは、庭を走り抜けている所だった。
門の中は、水の導かれた庭園で、丸石の積まれた霊廟があり、美しい景観を形作っている。芝生が敷き詰められた庭には、緑の間に、石造や踏み石が埋もれていた。
 男の肩に担ぎ上げらえた、女の尻が見えた。
 立ちはだかるクナリを目にして、男達は足を止めた。
 黒づくめの粗野な風体の男が四人。背格好の似通った男を集めて訓練したのだろう。見わけもつかないほどに、似通っている。
 アネビヤを担ぎ上げた男は、他のならず者とは身なりが違っていた。
 商人を装っていたが、鍛え上げられた体と、身のこなしは訓練された武家のものだった。傘を深く被り、顔を隠していた。
「そこをどけ、腰抜けが」
 クナリは、男の声に聞き覚えがあった。
 胃の辺りが、氷を飲んだように強張った。
「あんたは――」
 男は、肩に担いだアネビヤを投げ捨てた。
 抜き放った長剣は、ヌラリと血に濡れていた。
 たった今、誰かを殺してきたのだ。
 カヌワとかいうはした女の声が、途中で途切れた事を思い出した。
 あんたは……なんと言うことを。
 呆然としているうちに、クナリは取り囲まれていた。
 この連中はずいぶんと慣れていた。
 道場の稽古とは違う圧迫感が、クナリを押し包んだ。
 汗が冷たくなり、膝頭が震えた。
 おれは、この男に勝ったことがない。一太刀を浴びせた記憶さえない。
 顔を隠した男は、構えを正し、傘の下に見える口元を歪めた。他人を馬鹿にした冷笑だ。
「つくづく運の悪い奴だ」
 口を封じる気だと分かった。
 お前には骨がない、と言った父の言葉を思い出した。
 クナリは命のやり取りの重圧に耐えられぬ、そう、父は思っていたのだ。
 震える手で、クナリは棒を握り直した。
 空っぽの男なのだ。この器には、女を守る為の、当たり前の度胸さえ、入ってはいないのだ。
 目が吊り上るのを感じ、口元が怯える犬のように見苦しく、歯をむき出しにしていた。
 せせら笑いが、遠くの話し声のように耳に入った。
 逃げ腰のクナリに向かい、男は腰を低くして踏み込んだ。
 その瞬間、恐怖から、クナリは獣じみた咆哮を上げた。
 そこからは、酒に酔った時のような、ぼんやりとした記憶しか残っていない。
 クナリは襲ってくる剣の間をくぐり、石像の足元に身を投げた。蛇をかたどった石像だ。
 不用意に切り込んだ一人目の男の剣が、火花を上げて折れた。
 剣を捨て短刀を取ろうとする男の懐に踏み込み、クナリは短く持ち換えた棒を、男の耳につき込んだ。男は悲鳴を上げる事さえなかった。
 糸が切れたように倒れる男の下を潜るようにして、クナリは、すでに動かない体をはね上げた。クナリ自身の体が、人の重さの中心を、どのように扱えばよいのか知り尽くしているのだ。
 宙を飛んだ死体は、襲いかかる次の男に乗りかかる形になった。
 よける間に、死角が生まれた。
 男が気づく間もなく、クナリは剣を握った手に棒をからめ、肘を折るようにして、そのまま男自身の体に、突きこんだ。
 男は、自分の体から生えた剣を握ったまま、絶叫した。
 次の男は、クナリを背後から押さえようとしていた。
 クナリは体を回し、魔法のように男の親指を取っていた。子供のようにあしらい、そのまま、剣を握ってうつ伏せに倒れた男の上に、体が重なるように突き倒した。
 剣は二人分の体を刺し貫き、血に濡れてぬめっていた。
 最後の男は、恐怖に襲われ、背中を向けて逃げようとした。
 最後の男は数歩走ったところで、顔を隠した男に、刺し貫かれた。
「臆病者め」
 顔を隠した男は、吐き捨てて、顔を背けた。
 考えて動いた結果ではなかった。意識は半ば途切れているのも同じなのだ。
 体に刻まれた訓練が、勝手に手足を動かしたのだ。
 泣きじゃくる子供のような声が、自分が発しているものだと気づくのに、少しかかった。
「虫も殺さぬ男だと思っていたが、どうしてどうして、たいした殺戮ではないか」
 少し落ち着いたところで確認すると、わずかに身動きするアネビヤが見えた。
 怪我はしていないようだ。
「女が気になるのか? どうしてだ。婚姻を結ぶ前からお前を裏切っている女だぞ」
 顔を隠した男は笑っていた。
「どのような声で啼くのか、お前は聞いたことがないのだろう?」
 顔を隠した男は、冷笑のまま、クナリに切り込んだ。
 腕に剣先を受け、浅く肉が裂けた。
 鞭でなぶるように、男は、浅くクナリの体を切り裂いた。
 愉しんでいるのだ。
 棒は切り飛ばされて、半分の長さになった。
 血に酔った男は、笑みを浮かべながらクナリの胴を払った。
 不審な手ごたえに、男は顔をしかめた。肉を切る音ではなく、金属のぶつかり合う音が響いた。クナリの破れた服の間に、薄刃の剣が銀色に光っていた。
 脇と手の平で、男の剣を砕き、そのまま踏み込んで、折れた剣を棒のように使い、床にねじ伏せた。
 腕を決められた男は身動きが取れなかった。
 このまま、首をへし折ることも出来た。だが、それでは本当にケダモノになってしまうような気がしてクナリは躊躇った。
 顔を隠した男は、肩越しにクナリを見返し、薄く笑って、懐の短刀に手を伸ばした。
「――」
 血潮が霧のようにほとばしる。
 男は鳥の鉤爪のような短刀で、自分の喉を切り裂いていた。
「おまえの世話にはならん……」
 クナリは男の体を離し、床にへたり込んだ。
 震える手は、自分と男の血に染まっていた。

 目の見えぬアネビヤに、クナリがどのような働きをしたのかは分からなかった。
 静かになった後、アネビヤの耳に届いたのは子供のすすり泣きのような物だった。声でクナリだとわかった。
 投げ出された体が痛んだが、無事を確かめずにはいられなかった。
 膝を使って声の方へにじり寄り、手探りでクナリの姿を捜した。途中、水路に落ちたので、服はずぶ濡れになった。
「どこ? どこですか?」
 泣き声のあたりを探っていると、突然、激しく抱きすくめられ、アネビヤは血の匂いをかいだ。すでにアネビヤも血に汚れているので、ひるむ理由はなかった。力の強さに驚いたが、クナリの体が震えているのに気づき、逃げ出しはしなかった。
「怪我は――怪我はありませんか」
 気丈なアネビヤは、クナリが感じたような動物的な恐怖など分かりはしないのだが、心から怯えていることは理解できたし、怯える様子はまるで苦痛に耐えているかのようで、なにもしてやれない事をもどかしく感じた。
「大丈夫です。もう終わりました……もう、なにも心配はありません」
 クナリは、アネビヤの体を引き寄せ、胸に顔を埋めて泣いていた。アネビヤは袖をつかんだクナリの手を、訳もなく、かけがえのない物であるように感じた。
 それは、もはや義務感では説明できない衝動にかられ、アネビヤはクナリの髪をまさぐり、胸に、強くかき抱いた。
 冷え切った心が、もう一度、脈打つのを感じた。

 港を見下ろす丘は、寺院を含めて全てマティラ家の地所なのだそうだ。いまさらながら、その財力に、クナリは驚きを隠せなかった。
 遠くに見える港は、忙しく出入りを繰り返していた。
 出入りの度に、蟻がわくように船に群がる人々が見て取れる。荷物を降ろしたり、積み込んだりする人夫だ。スガルバヤは良くも悪くも、カオライで最も栄える港町なのだ。
 この港の大半を所有し、マティラ家の巨大な事業を動かしているのが、実はこの女性などだと考えると、滑稽に過ぎて笑いが出た。
 おれと釣り合う訳がないのだ。それはもう、夢物語にもならぬ。
 石を組み合わせて作られた寺院の、入り組んだ回廊を案内されながら、クナリはただ後ろをついて歩くだけだった。
 回廊は浮彫の透かし窓と、丁寧に織られた鮮やかな布で飾られている。
 石畳に落ちる光は、風に揺れる布の影を落として、生き物のように揺れていた。
 寺院の石畳には模様が刻まれており、ここを歩く時だけは手を引いてもらう必要はないのだ、とアネビヤは教えてくれた。
 骨を納めた小さな壺を、クナリの手を借りて、アネビヤは寺院の棚に収めた。カヌワの家族に分けてもらった骨だ。いつかこの寺院で眠る時、そばにはカヌワにいて欲しいのだと、アネビヤは言った。
 納骨を手伝って欲しいと、使いの者に聞いた時、クナリは来るべきかどうか迷った。
 あれだけの失態をさらしたのだから、本当ならば、もう合わせる顔などないのだ。
 それでもやって来たのはなぜだろう……おれはいったい、この人となんとかなるとでも思っているのだろうか。
 ぼんやり歩いていると、アネビヤがつまずき、クナリは思わずその手を取った。だが、アネビヤは、熱い物に触れたように手を引っ込め、
「ここは、わたしの庭のようなものですから」
 と、冷たい声で言った。
 拒絶され、クナリは、ああ、そういうことか、と一人思う。
 もしかすると、クナリの胸にはかすかな期待があったのだ。クナリは抱きとめられた腕を覚えている。柔らかな優しいささやきが耳に残っていた。
 やっと、捜していたものを見つけたような、そんな心持だったのだが、たぶん、それはクナリの独りよがりな思い違いなのだろう。
 これまでも余計者で、これからも余計者だ。骨のない臆病者には、ふさわしい生き様ではないか。
 立ち止まり、アネビヤはクナリに向き直った。
 格子に組んだ石壁からの光が、斜めに差している。
 光の加減か、幼い少女を見たような錯覚を覚えた。物心つき、体がふくよかになり始めた頃の少女から、生意気な若さにあふれた娘、そしてやや疲れた顔の先日までの姿まで、これまでの生涯の姿が、重なって、目の前に立っているように見えた。
「結局あれは、巷を騒がせた誘拐団の仕業だったようです」
「わたしに気を使う必要はありません。顔は隠していましたが、間違える筈がない。あれは、わたしの兄でした」
 アネビヤはなにも言わず、顔を伏せた。
「子供の頃、子犬を殺している兄を見た事があります。忘れていましたが……こんな話はよすかな。金に困っていたのは本当でしょう、戦わぬ武家の台所事情はみな同じような物だ。あなたと兄は以前――」
 アネビヤが体を強張らせるのが分かった。クナリはその話には触れないようにした。
「自分より劣る人間を、あなたが婿に迎えるなど、兄には耐えがたい屈辱だったのでしょう。勝手な思い違いだが……はは、兄弟がうちそろって、なんともお恥ずかしい話で」
「そんな、悲しい笑い方をなさらないで」
「悲しい? 笑わなければ、ますますみじめになるばかりだ。今度という今度は、ほとほと、自分に嫌気がさしました。なるほど、人は褒めてくれる。よくぞ退けたと――事実は違う。あなたはご存じだ。退けたのではなく、ただ、恐怖のあまり逃げ惑っただけの事です」
「それが、悔しいのですか?」
「わたしだって男です。悔しい物は悔しい」
「殿方はそうやって、すぐにつまらない意地を張るのですね」
「つまらないこと、ですか……」
「わたしは盲目の上に、依怙地な女ですから、殿方の様子や、立ち居振る舞いなどには関心がありません。人の目を通した話でしか、知ることが出来ないからです。財力や教養も問題ではありません。わたしはすでに十分以上に裕福で、家を守るのに必要なだけの分別があります」
 まったく、この人は、おれをみじめな気分にさせてくれる。
 簡単に、この話はなかったことに、そう言ってくれれば済むのに、おれはなにかこの人に憎まれるようなことを、しただろうか。
「同じように、殿方が勇敢であるかどうかなど、わたしには興味がないのです。身を守る必要があるのなら、傭兵を雇います」
「だが、それでは……」
 それでは、おれには何も残らない。まったく、なにも。
 ただ、小手先の器用な自衛術だけが残って、それはとても人格と呼べるような代物ではないのだ。
 いたたまれない気分だった。
 恩を着るつもりなどない、ということか。なぜ、目の前から消えろといってくれないのだろう?
 泣けてきた。情けない話だが、鼻の奥が、つんとすっぱくなる。
「では、これで失礼を……もう、会うこともありますまい」
 背中を向け、歩き出そうとすると、つかまれた袖に引かれ、たたらを踏んだ。
 驚いて振り返ると、アネビヤはひどく青ざめていて、金魚のように口をぱくぱくとさせていた。
「なにか?」
「ど……どうして、そんなひどいことを、おっしゃるのです」
「は?」
 青から、赤になったアネビヤの顔を見て、つれない態度に合点がいった。
 なるほど……この人はずいぶんなへそ曲がりらしい。思ったことを素直に口には出せぬのだ。
 手を取ると、アネビヤは首筋を染めてうつむいたが、今度は手を引っ込めはしなかった。
 そうして、クナリはほっとした。
 なにも残らないわけではない……玉ねぎの皮を剥ぐように、ひとつひとつ、人の体面を取り除いていっても、そこには必ず、なにかがきっと残るのだろう。
 クナリは空っぽの器のような男だった。中身がないので、怯えれば凶暴になり、寂しければ優しくなる。空っぽだからなにかを人に分け与えるのは無理な話だ。
 勇気をだしてアネビヤを抱き寄せながら、この人がおれの中身になるのだろうか、とクナリはそんなことを考えたりした。

      終

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