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【箱庭のマリア】R18注意!(1/4)

おもちゃのような洋風の小さな家には―

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 おもちゃのような洋風の小さな家には、青い芝生の庭があった。
 庭はブロック塀と家に三方を囲まれていて、正面には腰の高さほどの針葉樹で、申し訳程度に目隠しをしてあった。家の壁は白いペンキで塗られていて、まるで童話から抜け出してきたみたいだ。
 芝生では、散水器が水の勢いで回っていた。
 ぼくはその家に、箱庭と名前をつけた。
 なんどか、麦藁帽子をかぶった女の子を見かけたことがあった。
 少女はぼくよりもまだ幼くて、いつも可愛い服を身につけていた。
 髪は丁寧に編まれていて、一目で大事にされている子供だとわかった。いつも大きな麦藁帽子で顔が隠れているので、まだ顔を見たことはない。
 一度だけ、ぼくの方を見て、立ち尽くしているのに気がついたことがある。
 目が合う前に、少女はうつむいてしまって、ぼくは祖父に呼ばれて、その場を離れた。
 それが、サキちゃんを見た、最初の頃の記憶だ。
 

 ずっと幼い子供の頃、たぶん小学生になって少しの頃、父と母は仕事に没頭していて、放置状態のぼくをあちこちに連れ出してくれたのは、母方の祖父だった。
 祖父は不器用な人で、子供と上手に話ができるような人ではなかった。芝居を上演する温泉だとか、海や、石段が続く知らない観光地に連れて行ってくれたりしたけれど、行った先でかまってくれることはあまりなくて、やはり基本は、父や母と同じく放置状態だった。
 変な場所へ行くより、ぼくは祖父の作業場にいるのが好きだった、
 祖父は、家具を作ったり、みやげ物を作ったりしていたので、水色の粗末なプレハブには、のこぎりやノミや小刀がたくさんあった。
 そこでぼくは、木でできたおもちゃ作りに没頭した。
 竹とんぼとか、糸巻き戦車とか、豆鉄砲とか、昔のおもちゃ作りの本を参考に、プレハブにある材料でなんでも作った。
 祖父はのこぎりの挽き方や、のみの使い方を教えてくれた。
 言葉少ない祖父だったけれど、その時だけは饒舌だったのを憶えている。
 サキちゃんと会ったのは、そんな日のことだった。
 刈り取られた稲の株を踏み潰して遊んだ記憶があるので、たぶん秋の日のことだったのだろう。
 ぱんぱん、とトタンのドアを叩く音がして、誰かと思ってドアをあけると、そこには誰もいなかった。よく見ると、針葉樹の垣根の向こう、電柱の陰に、大きな麦藁帽が半分だけ見えた。
「どうしたの?」
 と、声をかけると少女は逃げ出してしまう。
 家のほうへ走って、玄関の中に入ってしまった。
 箱庭と名付けた家へ歩き、ベルの形をしたノッカーを鳴らした。
 現われたのは、少女ではなくて、綺麗な女の人だった。
 ひらひらのついたスカートや、薄い麻織りのブラウスは、まるで先ほどの少女をそのまま大人にしてしまったみたいに見える。長い髪は軽く波打っていて、白い肌は、ほんの少し汗ばんでいた。
 今度は、ぼくの方が声を失ってしまった。
 逃げ出そうとするぼくに、その女の人はくすくすと笑いながら言った。
「逃げなくても大丈夫よ。サキちゃんが呼んだんでしょ?」
「サキちゃん?」
「この子よ」
 スカートの陰から、先ほどの麦藁帽子の女の子が、うつむきがちに顔をだした。
「いたずらじゃないの。恥ずかしくて逃げちゃったのよね」
「ごめんなさい」
 と言ったサキちゃんは、唇をかんで涙ぐんだ。
「べ、べつに大丈夫だけど……ど、どうしたの?」
「サキちゃんは、一緒におやつしたかったのよね」
 サキちゃんは、ぶんぶん、と首を縦に振った。
「……おかあさんが、ドーナッツ作ったの」
「ぼくに?」
 サキちゃんはもう一度うなずいた。
「ありがとう」
 サキちゃんは花が開くように笑った。
「わたしはさやかっていうの。サキちゃんのおかあさんよ。あなたの名前は?」
「こうへい。北見こうへいっていいます」
「よろしくね、こうへいくん。もし迷惑じゃなかったら、サキちゃんと遊んであげてね」
 さやかさんは、ぼくの前に膝をついて、両手でぼくの手のひらを包んだ。
 短い間だけれど、ぼくはさやかさん達と、家族よりも親しい間柄になった。


 小さな女の子でも、誰かを好きになることがあるのかなって思う。人を好きになるのは、人間が生まれた時にすでに持っている機能なのかもしれない。
 サキちゃんがぼくを好きになったように、ぼくはサキちゃんのお母さんを好きになった。
 残酷だけれど、それが人間の持つ正常な機能だ。
 芝生の真ん中に果物の柄をプリントしたレジャーシートを引いて、サキちゃんとおかあさんはままごとをしていた。
 ということは、さやかさんは少なくとも昼間は働いていない。華奢で手足がすらっとしていて、まるで雑誌のモデルさんみたいだったけれど、化粧は控えめで、大人の女の人という感じではなかった。
 たとえば、ぼくの母はいつもビジネススーツで小走りに歩く。鋭い目でいつもなにかを値踏みしている。簡単に言うと役に立つか、役に立たないかだ。
 朝からおままごとをしているさやかさんとは、まるで正反対の人種だ。言葉を話すスピードさえ倍ほども違っていた。
「あら、こうへいくんは今日はおやすみなの?」
 おっとりと話すさやかさんの言葉は、ぜんぶひらがなだ。
「おばさん、きょうは祭日だよ。全国的におやすみ」
「おばさんはいやよ、こうへいくん。さやかって呼んで」
「こんにちは、さやか……さん」
 ぼくはどぎまぎしていた。友達の母親としては、さやかさんはあまりにも若くて、可憐だった。サキちゃんよりも少女みたいだった。
 サキちゃんは怒った顔で駆け寄ってきて、ぼくの腕にすがった。
「だめよ、おかあさん。こうくんはわたしと遊ぶの」
 さやかさんはくすくすと笑った。
「まあ、やけるわね。おかあさんがこうへい君をとってしまおうかしら?」
「だめ! そんなのだめ!」
「ばかね、冗談よ」
 もちろん、冗談だとわかっている。
 でも、ぼくが足繁くこの箱庭に通ったのは、サキちゃんではなく、さやかさんに会うためだった。
「あとで、ジュースを運ぶわね」
 さやかさんは、女神みたいに微笑んだ。柔らかな栗色の髪が揺れた。
 世の少年の頭にある母親のイメージをそのまま人の形にしたら、きっとさやかさんみたいな女性になる。
 どんな仕事をしているのだろう? と疑問が頭をかすめた。
 もしかしたら、どこか遠くに父親が居て、さやかさんとサキちゃんは送ってくれるお金で暮らしているのかもしれない。顔がない男性に抱きすくめられるさやかさんの映像が目に浮かび、ぼくは嫉妬で息が苦しくなった。
 サキちゃんはそんな気配を察したのか、不機嫌にぼくの手を引いた。
「いいよ、そんなの。飲みものくらい、わたし、ちゃんとできるから」
 サキちゃんが言うと、さやかさんは口元をかくして声を出さずに笑った。

      続く

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