撮影が終わると、男たちはすぐに荷物をまとめて帰っていった。
さやかさんは、リビングの床にお尻をつけて座り、魂が抜けてしまったみたいに、ぼんやりと宙を見つめていた。顔には涙が流れた跡が残っていて、まだ朝の雰囲気を残す白い光が、膝の辺りを照らしていた。
ワンピースは破られていて、片方の乳房がこぼれていた。床のあちこちには鼻水みたいなネバネバした液が落ちていて、なんだか生臭いような臭いがしていた。
子供部屋から出てきたサキちゃんは、その様子を見て、声を出さずに泣いた。
大きく口をあけて泣いているサキちゃんを見て、さやかさんは我に返り、優しい笑みで、サキちゃんに腕を広げた。
「大丈夫よ。こんなんことなんでもないの。いらっしゃい」
腕を広げたさやかさんの胸に、サキちゃんは飛び込んで大きな声を上げて泣いた。
「ごめんなさい! わたし……ごめんなさい、おかあさん」
「サキちゃんは、ちょっと悔しかったのよね。大丈夫よ。もう帰ったし、あの人はもう一度わたしの前に姿を見せるほど、心が強くないもの」
二人は、紛れもない家族で、結ばれているんだなって思った。
余計者のぼくとは違う。
母も父もぼくには関心がないし、優しくしてくれる祖父も、けっきょくはぼくの事をどう扱ったらいいかわからないのだ。
ぼくは、なすすべもなく眺めているだけの存在で、ぼく自身だって、ほんとうはなにも望みなんかないのかもしれない。ぼくがさやかさんに感じていた憧れは、いま身近にない母性への渇きが、ただ間違った矛先を向けているだけなのかも知れなかった。
呆然としているぼくに気がついて、さやかさんは、サキちゃんにするのと同じように手をさし伸ばした。
「こうくんも、おいで」
さやかさんは窓からの光を浴びて、白い肌を輝かせていた。泣いているサキちゃんの背中を撫でて微笑むさやかさんは、まるで聖母さまみたいに見えた。
詐欺師で、したたかで、嘘をつく人だけれど、その母性だけは紛れもない本当のさやかさんだった。
ぼくは夢遊病者みたいに歩いて、さやかさんの胸に顔を埋めた。
「あらあら……こうくん。ごめんね、こわい思いをさせて」
ぼくは泣いていた。涙を流す理由は自分でもわからなかった。
ただ涙を流すと洗われるような気がした。
「二人とも、なにが食べたい? 着替えたら外に行きましょう。なんでも好きな物を食べていいわよ」
さやかさんはぼくの頭をなでてくれた。
箱庭の散水器が回りながら、きらめくしずくをふり撒いていて、芝生の上には光が踊っていた。
二日後に、サキちゃんの家を訪ねると、ドアには鍵かかけられていて、引越ししますと張り紙があった。
さやかさんの張り紙の脇に、サキちゃんの書き置きもあって、色鉛筆で丁寧に書いてくれたメッセージには、ところどころに涙の跡があった。
――げんきでね こうくん
と書かれた書き置きを、ぼくは畳んでポケットに入れたのだけれど、長い年月の間に、そのスケッチブックの切れ端はなくなってしまった。
今でも、小さな芝生の庭を目にすると、ぼくはさやかさんとサキちゃんの姿を探してしまう。
二人は、庭にかわいいプリントのレジャーシートを敷いて、おままごとみたいに早めの昼食を取っている。
ぼくに気づいた二人は、微笑んで、お帰りなさい、と手を伸ばしてくれるのだ。
終り