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【カオライの龍女】(4/4)

遺体を埋葬する手配りは、知り合いの便利屋に頼んだ―

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 遺体を埋葬する手配りは、知り合いの便利屋に頼んだ。船だろうが傭兵だろうが金で買えるものはなんでも準備する男だ。心づけを弾んだので、丁重の扱ってくれるはずだ。
 手配りをおえて、屋台へ戻るとグナワンが相手にしているのは、異形の生き物だった。
 その様子に、クナリは肝を冷やした。
 グナワンは、虎人の牙に腕を取られていたのだ。
 食いちぎられる様子が、クナリの脳裏に浮んだ。
 だが、グナワンは堅くくわえられた腕をたくみ使い、魔術のように巨躯を操った。虎人と比べるとまるで大人と幼子だが、首を操られた虎人は、なすすべもなくグナワンに地面を転がされた。流れるように腕をとり、グナワンが体をもたせ掛けると、丸太のような腕が有り得ない角度に曲がった。
 虎人は、長い咆哮をあげた。
 ほう、とクナリは口の中で声をあげる。グナワンは知らぬ間に腕をあげたようだ。力と速さだけの技だと思ったが、さきほどの技は、老獪な達人のそれだった。
 こいつ、誰のてほどきを受けた?
 クナリの教えた技ではない。ほうっておいても、子供は育つものだな、とクナリはにんまりと笑う。
 虎人は折れていないほうの腕をふるったが、凶暴な一撃は自分を傷つけただけだった。
 腕の内側に巻き込まれたクナリは、そのまま肘と肩をかためて堅固なつっかえ棒になった。梃子の原理で、虎人の肩は音をたてて外れた。
 雄たけびはもう咆哮ではなく、絶叫のようだった。
 あの生き物には、なにが起こったかわかっていない。獲物は食らうのが当たり前で、てこずらされたことはないのだろう。ただ食らい尽くすように生まれた生き物なのだ。
 同じような感慨を覚えたのだろうか、グナワンの動きがとまった。
 自由にならない腕を、ぶらぶらと振り回し吠える虎人は、もはやただの怯えたケモノだった。
 グナワンは途方にくれているように見えた。
 我にかえって、この哀れな生き物の姿に気付いてしまったのだろう。戦意を失っているのがわかった。
 それでかまわない、とクナリは思った。
「さがってろ。あとはおれがやる」
 クナリに気付いたグナワンは、ほっとしたように道をゆずった。
 振り回す腕の下をくぐって、クナリは虎人の目を打った。視界を失って固まっている間に背中へまわり、首筋の骨をわずかにずらした。巨体は糸がきれたように倒れた。
 アネビヤを隠して駆けつけた護衛たちは、目を丸くしていた。虎人を倒した人間など、クナリも聞いたことはない。
 賞賛の歓声はグナワンに向けられていた。
 グナワンは息を切らしていたが、まだ余力を残していた。腕からは血を流している。深手には違いないが、ただ深い穴が穿たれているだけだ。裂けてもいないし、治療すればすぐに回復するだろう。
 クナリの視線に気付いたのか、グナワンは不満げに言った。
「なにか?」
「……いいや、よくやった。虎人を倒すなど、おれもきいたことがない」
 グナワンの気分は晴れないようだった。後味の悪さはクナリにも理解できた。
 護衛と店主たちが歓声をあげた。グナワンは名前を知られることだろう。武家からの誘いも受けるに違いない。
――それでよかったのかな。
 不安がクナリの頭をかすめたが、クナリはあまり思い悩まないたちだった。
 石畳の上によこたわる、哀れな毛むくじゃらの死体に、クナリは屋台の天蓋をひきずり下ろしてかけてやった。これも人の女が産んだ命だったのだ。
 店主が不満げにしていたが、新しいのを仕立ててやるというと、もみ手をして喜んだ。
 クナリはアネビヤの姿を捜した。
「店の物置に隠れていただきました」
 護衛の一人が言った。
「教えてくれ、おれが迎えにいくよ」
「こちらです」
 アネビヤと顔をあわすのは気が重かった。おつかいもろくに果たせない、くたびれた、役立たずのおっさんだ。
 グナワンは、クナリのさえない顔色に気付いたようだった。
「どうしたんだ、おっさん」
「……どうしたのですか、師匠」
「ど、どうしたのですか、し、師匠」
 グナワンは、クナリの予想外の反応にどぎまぎしていた。あまり真剣な顔をしたクナリを見たことがないのだろう。
「なんでもない。ちょっと疲れただけだ」
 クナリはため息をついて、案内する護衛の後を追った。


「シアルとわたしは、グナワンのお嫁さんになるのよ」
 まだ、五つになったばかりのセアラは言った。双子の娘を膝にのせてご満悦だったクナリは、その言葉に水をさされて、娘には聞こえないように舌打ちをした。
 手が早いな、あの野郎。おれの娘になんてことしやがる。
 ぼんやりとした顔は、たぶん、もう眠いのだ。茶色のくせっ毛にふちどられた丸い顔は、ややぼんやりと表情が薄くなっていて、瞳は大きくなったり、小さくなったりを繰り返していた。けっきょく夕食は遅くなって、食事はランプの光で取ることになった。吊り下げたランプは陶器でできていて、四角い小さな窓がたくさん開いている。穴からもれた光は、天上や壁に映って、ゆらゆらと眠りを誘うようにゆれていた。
 居宅には、こんな部屋がいくつもあったけれど、この部屋はその中でもアネビヤのお気に入りだった。結婚してすぐに暮らした部屋なのだ。豪華でもなく、広いわけでもない。竹で床を組んだ、普通の庶民と同じ簡素な小屋だ。
「あーでも、あいつ故郷に許婚者がいるんだがなあ」
 意地悪のつもりだった。子供のざれごとだと思っていたのだ。
「うそよ」
 姉のセアラは目に涙をためて、クナリをにらんだ。頭からかぶるドレスの、かざりのついたすそを握り締めて、悔しげに小さな爪を立てている。
「うそ、おとうさまの意地悪!」
 妹のシアルは泣きながら、クナリの頬をつねった。
 な、なんだこれは。
 クナリは驚愕していた。なんだこれは、おれが悪者なのか?
 困り果ててアネビヤに目をやると、妻は声を出さずに笑いころげていた。
――馬鹿ね。小さくても女の子なのよ。
 アネビヤは目でそう言っていた。
「ああ、悪かった、悪かったよ。おれの思い違いだ。もうおねむの時間だ。つかまれ、いくぞ」
 布を垂らして仕切っただけの子供部屋に、クナリは二人の娘を運んだ。
 ねくじ、みたいなものだ。ねむりに落ちる途中で、子供は不機嫌になる。死んでしまうのと同じ感覚だから怖いのだ、と誰かが言っていた。じゃあ、子供は命もなく、体もなく、何者でもなかった頃を覚えているのかもしれない。
 ベッドに寝かせると、小さな生き物は大人しくなった。
 目の端に、涙を残したまま、夢うつつの声で――おとうさま、どめんなさい。と言った。双子の娘は寝息を立て始めた。
 まるで、奇跡のようだ。と、クナリは思う。
 ほんの一昔前まで、クナリは人のぬくもりなど知らなかった。食事が用意された家など物語の話だし、体を丸め、怯えて目覚める以外の眠りを知らなかった。
 まるで星粒が星粒にぶつかるような奇跡だ。
 この奇跡を、アネビヤがおれに与えてくれた。もしも、アネビヤがいなければ、きっとクナリは人ではなくなる。あの哀れなケダモノのように。ただ世界を憎むだけの動物になってしまう。
 そうなったら、あいつはおれの面倒を見てくれるかな。
 クナリは、グナワンの生意気な顔を思い浮かべた。アネビヤの前ではしおらしくしているのに、この頃二人だけになると、なにかと噛みついてからんでくる。
 だめだ、あいつは口だけで意気地がないからなぁ。
 昼間の様子を、クナリは思い出した。
 グナワンにとどめはさせなかった。自分を疑って、虎人の境遇に思いをはせてしまったからだ。余計なことを考えてしまった。
 だが、クナリはそのことをこそ誇らしいと思う。自分の目に間違いはなかった。腕っぷしなどどうでもいい話だった。上には上がいて、武などを競えば切り果てがない。グナワンは人を殺せない男だった。クナリとは違ってまともな男なのだ。
 たぶん、自分の面倒は自分でみなくてはならない。だから、そんな事が起こらないように、クナリはアネビヤを守るのだ。


 娘たちを寝かしつけて戻ってくると、クナリはアネビヤのそばには座らず、窓際で酒盃に酒を注いだ。夫がそばに座らない時は、きっとなにか後ろめたいことがあるのだ。
 ランプの油がかすかな音をたてて燃えていた。耳のするどいアネビヤには、遠く離れても港の喧騒を、わずかに感じることができる。
 今夜使った居宅は、山間部にせまる丘陵のなだらかな中腹にある。執務をこなす屋敷からけっして近くはないが、アネビヤはこの屋敷がお気に入りだった。
 高い床の居宅からは、夜も明かりを灯すカオライの港を見下ろすことができるそうだ。
 港はスディオ家の所有物だが、事実上それを管理しているのはアネビヤだった。当然、ねたみや恨みを買うこともある。襲撃が誰の差し金かは、結局わからなかった。
 あの人は? とクナリに聞くと、無事にカオライをでたよ、と返事があった。
 人は小さな嘘を重ねて生きている。
 襲撃のこともある。もしかしたらなにかあったのでは思ってはいたが……。
 とけることのないしこりが、アネビヤの胸に残った。積み重なった罪の意識はアネビヤの顔から笑顔を奪いそうになる。クナリがいなければ、とうの昔に笑顔を知らぬ女に成り果てていただろう、とアネビヤは思う。
「きみは、あの男を――」
 と言いかけて、夫は口をつぐみ、酒盃をあおった。
「なんでしょう?」
「んにゃ、なんでもない」
 やはり、嘘の下手な人だった。
「きみに見せたいな」
「どうしたのです」
 アネビヤは立ち上がり、つま先でさぐりながら窓際の夫のところへ歩いた。クナリは指を伸ばしてアネビヤの指をとり、優しく自分の膝の上にのせた。
「夜になっても、港は眠ってはいないよ。船は松明をかかげてゆっくりと進んでいるし、桟橋にもいくつもの灯りがあって、人夫が何人も働いている」
「月はありますか?」
「まあるい月だな。波に映っているよ」
 月光の音が聞こえるような気がした。


 優しすぎるのは残酷なのだとカザハヤは言った。
 クナリに抱きしめられると、その言葉の意味がよくわかる。
 クナリがアネビヤをふつうの女にしてくれるのは、眠りに落ちるまでのほんの短い間だけだ。
 カオライから連れ去ってはくれないし、誰も知らないところで、二人だけで暮らそうとは言ってくれない。
 それが、カオライにどのような災禍を巻き起こすか知っているからだ。
 クナリは優しすぎて、罪がない人々が死んでいくのを見過ごせないのだ。

 もっとわがままでもいい。

 娘達も、港市も、全て打ち捨ててもいい。すべてを地獄の火で焼いてしまっても、その腕で抱いてくれれば、アネビヤはそれでよかった。クナリが望んでくれるのなら。

 だが、それも心で思うだけだった。
 実際には明日も、アネビヤは公務を果たす。たとえ、娘を失っても、夫を失っても。
 それが、『カオライの龍女』の務めだった。

 かたわらでクナリが、騒々しいいびきをかいていた。疲れたのだろう。アネビヤも同じだ。長い一日だった。

 けれど、少しでも長くこんな日が続くことを、アネビヤは願った。失うものが多くあっても、きっと耐えられるはずだ。夫がそばに居てさえくれるのなら。

      終り

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