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【 疫病神 】(2/4)

わたしの生涯の願いは―

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 わたしの生涯の願いは、蓄えを持って、子供を一人前に育てることだ。
 父親は、べつに行きずりの男でもいい。
 証明したいのだ。わたしでも母親になれるということを。生涯の半分を争いと憎しみの中で暮らした。本当のことを言えば、どちらもわたしには理解できない概念だ。
 でも、血を分けた子供は、わたしを愛してくれるかもしれない。
 長い闘争で、わたしは人間という存在を理解した。そのいびつな感情を、つじつまの合わない行動を、理不尽な願いを、たしかにこの目にした。
 完璧な母親を演じる自信があった。慈しんで大事にして、おかあさんと呼ばせてみせる。
 幸せにしてみせる。わたしにだって出来るはずだ。
 けれど時は残酷に過ぎてゆき、タイムリミットがせまっていた。
 母親になれる期間には限りがあるのだ。
 神様なんて信じてはいないけれど、わたしはチャンスをものにした。
 他に心当たりがないので、たぶん、木原達也の子供だろう。
 これが、最後のチャンスだ。
 わたしは、会社に退職を告げた。計算では、中学生になるまでつきっきりで母親を務めるだけの蓄えがある。その後は軽い仕事を探せばいい。財産のある男を捕まえてもいい。
 ただ、母親になれることを証明したいのだ。
 わたしは憎まれるだけの存在ではない。そう信じたかった。
 退職を耳にして、登坂水絵は送別会を企画してくれた。
 億劫だったが、最後の勤めだと思った。
 わたしは、願いをとげて油断していたのかも知れない。
 人間がどんなことを考えるのかくらい、当然、察してもいいはずだった。


「長い間ごくろうさまでした!」
 登坂水絵は、明るい声で言った。二次会のカラオケに一緒についてきた男、相馬亮平と山之内もとむは、登坂水絵の取り巻きだった。登坂水絵は自分の影響力を愉しむ女だった。
 相馬亮平と山之内もとむは、登坂水絵にけしかけられて噛み合う犬みたいな存在だ。
 登坂水絵の関心を買いたいので礼儀正しくしているけれど、男だけにしたら殺し合いを始めかねない。
 だが、外見上は同期の気の合う同僚に見える、それは登坂水絵の完璧なマインドコントロールの成果だ。
「わたしは鴻上先輩に仕事を教えてもらったの。一から十まで全部よ。一人前にしてもらったの」
 鴻上というのはわたしの名前だ。鴻上美里。母親からもらった名前だけれど、母親は物心がつく前にわたしを捨てた。怯えていたそうだ。わたしは人が知りたくない自分自身の姿を、鏡のように映してしまう。
「すごく感謝してるんです」
 これがすごくおいしいんですよ、と登坂水絵はわたしにピーチウーロンを勧めた。
「鴻上さん、すごく綺麗ですよね。なんかモデルみたいで。前の仕事はなにをしてたんすか?」
 相馬亮平は興味本位の軽い調子で聞いた。背の高い体育会系の男だ。まだ、二十代の後半なのでわたしとは一回りほども年が違う。営業マンらしく清潔な身なりをしているが、粗野な感情が、表情や態度に見え隠れしていた。暴力をいとわない男だ。
「前の会社では、わたしも営業をしていたの。製造管理のクラウド処理をするソフトメーカーよ。成績は中くらいね。モデルだなんて、そんなわけないじゃない」
 わたしの外見は、わたしに災難しかもたらさない。平凡であえばよかった。目立たずに、もう少しうまくやり過ごすことが出来た。
「鴻上さん営業ですか? 成績よかったでしょう。綺麗なんだから」
 山之内もとむは言った。 綺麗だから色仕掛けでなんとでもなったでしょう? わかりやすく日本語にするとそういうことだ。がっしりとした体格で、やや愚鈍な印象の青年だ。山之内もとむにとって、登坂水絵は絶対の君主だ。わたしには理解できないが、行動の全てを支配されることには、麻薬のような快感があるようだ。わたしはなんどもそういう光景を見た。人間は共依存とかいう言葉で表現したりする。
 登坂水絵は、脇目も振らず、曲を予約し続けていた。入力されたリストは何時間分にもなりそうだった。けれど男たちはなにも言わなかった。
「登坂さん?」
「部長はわたしたちを大事にしてくれました」
 登坂水絵は、手元のリモコンを見下ろしたまま言った。
「おれも部長にはお世話になったんですよ。優しい人で、わかるまで教えてくれた。いい人だったんす」
「ぼくも部長は尊敬していました。優しすぎてトラブルに巻き込まれることはあったけれど、いつも、なんでも真剣に取り組んでいました」
 この人たちの目に、木原達也はそう映っている。自分を支えるために『関係』を基盤としているので、人間は自分の属する組織を擁護する。群れのリーダーに権威を与え、狩りを円滑に運ぶのだ。
 たとえば、こまめに教育を重ねたのは、部門長としての自分の成績に影響するからかもしれない。
 トラブルに巻き込まれるのは、善意の行動と見せかけて、じつは自分の利益のために行動しているからだ。
 大事にしていたわけではない。慎重に取り扱っていただけだ。
 その証拠に、木原達也は他の部門の人間には目もくれない。断る理由はたくみだ。
――それは、きみの上司の顔をつぶすことになるからね。具体的なことは言えないよ。
――わかった、じゃあこの件はこちらで引き受けよう。きみは自分の仕事をしてくれ。
 無償の手助けはしない。たくみに断るか、自分のものにするかだ。
 ようは馬鹿ではないという、ただそれだけのことだ。
「鴻上先輩にはどうでした? 部長は優しくしてくれましたか」
 登坂水絵は、リモコンテーブルに置いた。
「部長はどんな風に触りました? 紳士的でしたか?」
 相馬亮平は、水のグラスをとって、ゆっくりとわたしの頭に浴びせた。冷たい水が首筋から背中に流れた。また、始まった。いつもそうだ。誓ってわたしは誰も憎んでいない。だれも好きではない代わりに、だれにも関心はない。たぶん、それが許せないのだ。わたしは他人になにも望まない、だからわたしは、人間の本性を引き出してしまう。
 立ち上がって逃げようとした、ドアまでは五歩くらいだった。山之内もとむは、大きな体には似合わない機敏な動きで、わたしの手首を握った。そのまま倒れこみ、わたしは山之内もとむの腕の中におさまった。
 強く抱きしめられて、身動きができなかった。
「鴻上先輩、なんどか病院で抜けたでしょう? もしかして部長の赤ちゃんが出来ちゃったの?」
 山之内もとむに抱え込まれたわたしの顔を、登坂水絵は覗き込んだ。優しげに微笑んでいたけれど、顔は青ざめていて、吐く息から暴力のにおいがした。
「認知するようにせまったんですか? 年増はこわいですねぇ。わたしはそんな見苦しいことはしませんでしたよ」
 男たちの表情が歪んだ。登坂水絵は木原達也を崇拝しているが、男たちは登坂水絵を独占したいと思っているのだ。だから関係が成立している。登坂水絵が二人のどちらかを特別扱いすれば、たちまちバランスはくずれてしまう。
「言うことをきかないから、しかえししたんですか?」
 違う、それはあなた達人間の発想だ。わたしはしかえしなんかしない。わたしはもともと一人なんだから。
「うまくいかなかったら逃げだしてなかったことにするんですか? 退職って聞いたときに殺してやろうと思いました。さすがにそれはやりすぎですけどね」
「叫びます。助けを呼ぶわ。警察沙汰になるわよ」
「やってみたらどうすか?」
 相馬亮平は笑った。
「ここ、友人の店なんすよ。むかしの悪い友達の店。誰もこないっすよ。この個室に近寄るなって言われてるから」
 登坂水絵は、わたしの髪をつかんで顔を上げさせた。
 顔をなぐられて、視界がぼやけた。手加減なしだった。耳がきーんと鳴った。口のなかで血の味がした。登坂水絵は、なんども叩いた。首がねじれて痛くなった。たぶん、登坂水絵の手も、かなり痛んだはずだ。でも人間はそんな犠牲をいとわない。報復のためにはちゃんと代価を支払う心構えがあるのだ。不合理だけど、そういう生き物なのだ。
「じぶんで下着を下ろしなさい。手は使えるでしょ」
 わたしは山之内もとむに首を抱えられたままだ。座ることも立ち上がることも出来ずに、犬みたいにお尻を後ろに突き出している。
 相馬亮平は、わたしの顔の前に脱いだ革靴をかざした。
「なんにも道具ないから、これ使いますね。いまから三時間の間に、ごめんなさいって1000回言ってください。ちゃんと頭に部長ってつけてくださいね。『部長ごめんなさい』っすよ」
 びゅっと鞭のような音がして、お尻に激痛が走った。痛みの感じからいうと、三時間ももたない。二十分くらいで皮膚が破れてしまう。この男たちは素人だ。加減もしらない。だから危険だとも言える。
「ほら、はやく下着おろして。ちゃんとくねくねするのよ。興奮させないと、男たちは飽きちゃうんだから」
 登坂水絵は、またわたしの頬を殴った。
「ごめんなさいは?」
「……ごめん……なさい――あぁっ!」
 相馬亮平は靴を振り下ろした。
「部長ごめんなさいっすよね」
「……部長ごめんなさい」
 お尻に激痛が走った、少しずつ体の組織が圧死していくのがわかる。
 わたしは下着に親指をかけ、お尻を振りながら下着を下ろした。
 できるかぎり泣きじゃくった方がいい。できるかぎり惨めにした方がいい。それがこの人たちの望みだから。大怪我をしないためには、それが一番いいのだ。なんども繰り返して、わたしはそれを学んだ。
「我慢してれば、すぐに終わるとか思ってるんでしょ? あんた、したたかそうだもんね」
 また、激痛が走って、わたしは背中を丸めた。ちらりと見えた山之内もとむは、辛いような苦しいような表情をしていた。この子は感受性が高くて共感してしまっている。わたしの痛みを感じてしまっているのだ。これは材料として憶えておくべき事柄だ。山之内もとむは暴力に酔う人間ではない。
「部長、ごめんなさい! 部長ごめんな――あぁぁ! ごめんなさいぃ!」
 なんの前触れもなく、相馬亮平はわたしに押し入ってきた。痛みしかなかったけれど、登坂水絵は気持ちいい?と聞いた。しつこくなんども聞かれると、だんだん快感を感じているような錯覚をおぼえた。
 相馬亮平はわたしを貫きながら、靴でお尻を叩き続けた。
「ごめんなさい! ごめんなさい! 部長、ごめんなさいぃぃ!」
 自分でも驚いたけれど、わたしは鼻にかかった声を出していた。
「まあ、変態さんね。無理やり入れられて感じちゃったら駄目でしょ。ごめんなさいは、まだ七回よ、もっと頑張らなきゃ」
 登坂水絵が目で合図をして、相馬亮平は無造作にそれを抜いた。
「――ああっ!」
 ドアが開き、飲み物をもって店員が入ってきた。まだぽっかりと口をあけたままのわたしの下半身を見ても、店員は顔色も変えなかった。まるでわたしが見えてないみたいだった。
「ご注文は以上ですが、なにかございますでしょうか?」
「しばらく、誰もこさせないでね。今からちょっとたいへんだから」
「承知しました」
 店員は荒い息をしているわたしを無視して、個室を出て行った。
 登坂水絵は目を細めた。
「わたしはキチガイじゃないから、だれも殺したりしない。まともな人間だもの。あなたを生かしておいてあげる。そのかわり赤ちゃんは殺す、許さないわ、あの人の子供を産むなんて。赤ちゃんが死ぬまで、時間をかけていたぶってあげる」
 そういうことか。登坂水絵の目的がわかった。
 嫉妬だ。人間を突き動かす基本的な感情のひとつだ。
 登坂水絵は矛盾したことを言っている。まともな人間なんてこの世にはいない。狂っているから人間なのだ。
「そうだいい物があるのよ」
 登坂水絵はカバンから、ミネラルウォーターのペットボトルを取り出した。自動販売機で出てくる500mlのおおぶりなタイプだった。
「ちゃんと2本あるから、安心してね」
 登坂水絵はわたしの後ろにまわり、ペットボトルを入り口にあてがった、キャップが入り口をなでる感触に髪の毛が逆立った。死んでしまうかもしれない。裂けてしまう。
「ほら、蹴飛ばすのよ」
「え? 大丈夫かな。怪我したら面倒だぜ」
「このくらいで怪我なんかしないわよ。赤ちゃんがでてくるところなんだから」
「それも、そうか。でもなぁ……」
 わたしは恐怖で暴れた。苦痛を怖れたわけじゃない。赤ちゃんがダメになってしまうと思った。登坂水絵の目的はまさにそれなのだ。
「だらしないわね。どきなさい。ちゃんと持ってるのよ」
 登坂水絵はハイヒールを脱いだ。ストッキングの素足がわたしの足の間に見えた。
「いや、助けて! ゆるして、ゆるしてください! やめて……やめ――がぁは!……ぁ……」
 思いっきり蹴飛ばされる衝撃があって、体が裂けてしまいそうな痛みに、わたしは息をつまらせた。登坂水絵はそのまま、ぐりぐりと、ペットボトルをかかとで踏みつけた。目の前が白くなった。からだが勝手に痙攣して、足や手の指が、わたしの意志に反して丸くなった。
 ねっとりとした冷たい汗をかきながら、わたしは声も出せずに空気をむさぼった。ふとももを濡らす液体が自分のおしっこだと気づくのに少し時間がかかった。
「おもらししちゃったの? 汚いわねぇ。ちゃんとくわえているのよ。もう一本あるんだから」
 登坂水絵は乱暴に指を入れて、わたしのお尻をかきまわした。なにか薬を塗ったみたいだ。ぬるぬるする感触と同時に、粘膜が熱くなった。
「裂けたら、人工肛門になっちゃうかもね。なりたくなかったら、ごめなんなさいを言った方がいいんじゃない?」
 わたしは、なんとか息を吸って、許しをもらおうとした。
「ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい! ゆるしてください」
 山之内もとむは、わたしをきつく抱きしめていた。涙と鼻水がシャツの肩に流れた。血圧が上がったのだろうか? 鼻水には血が混じっていた。
「許すわけないでしょ」
 登坂水絵は、わたしの熱くなったお尻に、むりやりペットボトルをこじ入れた。
「ムリ、無理です! いたぁい! やめてっ助けて! 死んじゃう、死んじゃうの!」
「おい」
 相馬亮平は、まずいと思ったのだろう。制止するように言った。
「黙ってなさいよ」
 登坂水絵の声は冷え切っていて、穏やかだった。死んだってべつにかまわない、と言ったのと同じだ。相馬亮平は黙りこんだ。山之内もとむの腕に、さらに力がこもった。
「ひぎぃぃいいいい! がはっ……が……」
「ちゃんと入ったわよ」
「大丈夫か?」
「大丈夫よ、こういう女なの。痛くされて喜ぶ変態さんなのよ。ね、気持ちいいんでしょ?」
 登坂水絵は、2本のペットボトルの底を、かわりがわりに蹴飛ばした。体中の穴から液体が噴き出した。皮膚は汗を搾り出して、目から涙があふれ、おしっこがちょろちょろとだらしなく流れて止まらなかった。
「ああぁ!……が、ああぁ!……やめ……やめて……くだ……さい」
「部長、ごめんなさいでしょ」
「ごめなさい……ごめんなさい……」
 赤ちゃんが死んでしまう。わたしの生涯のひとつだけの望みが消えてしまう。それだけは許せない。どんな苦痛でもわたしにはただ過ぎてしまうだけの時間に過ぎない。だれも憎まないし悲しんだりもしないけれど、それだけは譲れなかった。
「ほんとうはね、殺すつもりなの。今から山へ連れて行って、手足をしばって、首にガソリンをためたタイヤを引っかけて火をつけるのよ。ネックレーシングっていうの。すごく綺麗だと思うわ」
 赤ちゃんが死んでしまう。
「死にたくなかったら気持ちよさそうにしなきゃ。ペットボトルでいってみせてよ。笑わせてくれないと、本当に殺しちゃうよ」
 わたしは足をこすり合わせて、鼻にかかった声を出した。気持ちいいのだと念じると本当に快感がやってきた。
「どうしたの? 気持ちよくなってきたの?」
「ああ!……いいです……気持ちいいの!」
 登坂水絵は、おかしそうに笑った。お笑い番組を見ているような声で。
「わたし知ってるのよ、鴻上さん、普通じゃないでしょ。偶然だけどあなたの話を聞いたの。世間ってせまいわね。新聞記事も見たわ」
「なんの話? どういうことだ水恵」
「この人、人殺しなのよ。いっぱい殺したの。五人の馬鹿な男を。新聞には被害者ってでてるけど、ほんとうはこの人が殺し合わせたんだって」
「は? わかんねぇよ。どういうこと」
「この人に話してもらう?」

続く

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