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【 疫病神 】(3/4)

こんなことは初めてじゃない―

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 こんなことは初めてじゃない。
 不愉快な記憶は、古くからの友人のようにわたしの人生につきまとっている。たとえば、あれは十七歳の春のことだった。
 ずっと昔。過ぎてしまった、むかしむかしの出来事だ。
 いつの間にか教室では一人で、当時のわたしは、なんとなく友達の話の輪には加われないでいた。それは家に帰っても同じで、父と朗らかにに話す妹とは対照的に、わたしは部屋にこもることが多くなった。
 一つ下の妹、奈々果とはもう、何年も口をきいていなかった。
 べつになにか思うところがあったわけじゃない。
 ただ、わたしが遠慮しただけだ。
 家族の団欒を壊したくなかった。わたしが口を開くと、どうしてだかぎこちない空気が漂う。いなくなった母の思い出がそうさせるのかもしれない。
 奈々果もべつに気にしてはいないようだった。
 ある日、もう灯りを落としてしまったリビングで、隠れるようにして泣いている奈々果を見つけた。ソファではなく、無垢材の大きなテーブルに座り、電源の入ってないテレビを見ていた。安物のマンションなので、周囲の部屋の生活音が聞こえた。水道をひねったり、テレビを見たりする音だ。
 奈々果はひとつ年下だから高校に入学したばかりで、気が弱くなるとしたら、確かにこの季節なのだろうなと思った。
 じっとりと空気が湿り、熱気に息が詰まりそうになる季節だ。体が弱れば、心だって弱くなる。
「どうしたの? なにかあったの」
「関係ないでしょ。あっち行ってよ」
「関係なくないわ」
 わたしは奈々果の隣に座って、パジャマを握り締めている手をとった。人間はとても弱くて、とても傷つきやすい。勇敢になるのは、群れをつくった時だけだ。こういう時の人間には、慰めとぬくもりが必要なのだ。わたしは注意深く観察して、それを学んだ。
「いまさら、姉貴面するつもり?」
 奈々果は涙を拭きながら、あたしを睨んだ。奈々果はいまさらと言った。やはりどこかの時点で、わたしはなにか失敗をしているのだ。その証拠が、いまさらという言葉だ。
「言っておくけど、なにも話すつもりなんかないからね。あんたは、あんた。わたしはわたしよ」
「わかってるわ。でも、いまはこうさせて」
 わたしは、泣いている奈々果の体を抱きしめた。伝わる体温は、このわたしにさえ、なにか暖かい感情を思い起こさせるようだった。
「やめてよ」
 と言ったけれど、奈々果はわたしを振りほどこうとはしなかった。
 気持ちを理解することは出来ないけれど、奈々果はわたしの妹だった。
 奈々果は声をあげて泣き出した。
「あんたが悪いのよ!」
 奈々果は泣きじゃくりながら言った。
「どんなにいい子にしても、父さんやが心配するのは、あんたみたいな愛想がない娘なのよ!」
 腕の中で、奈々果は暴れた。
 そんな言葉を聞くのは以外だった。父は、とうにわたしを諦めていると思っていた。わたしはあの人たちの望むような感情を――泣いたり笑ったり喜んだりする素直な感情を――表現できる娘ではないのだ。
 奈々果のほうが、ずっと魅力的だ。泣くことなんてない、わたしとは違うのだから、自分らしくしていればいいのだ。
「ごめんね。わたしのせいだね。でも、お姉ちゃんはこんな風にしかできないのよ。どこかがおかしいの。お父さんを幸せにできるのは、奈々果しかいないんだよ」
 奈々果は暴れるのをやめ、子供みたいに泣きじゃくった。すこし落ち着いてから、奈々果は子供に戻ったような声で、わたしの耳にささやいた。
「おねぇちゃん……ごめんなさい」
「いいよ。妹だから、べつにいいんだよ」
 はじめて母親になりたいと思ったのは、この瞬間だったろうか。
 人間の愛情がどんな物か、垣間見たような気がした。


 奈々果は、パーティに連れて行ってくれると言った。
――お姉ちゃんは、愉しみ方を知るべきよ。一緒だといろいろ楽しいことがあるのよ。
 と、奈々果は言った。
 気は進まなかったけれど、奈々果のいうことにも一理あると思った。人間は、さまざまな方法で人生を愉しむ。それができない存在に不信感をいだくのは当たり前だ。
――髪は下ろしたほうがいいよ。おねぇちゃんは美人顔だから、大人っぽくしたほうがいいんだよ。
 奈々果は、ちゃんとわたしを見てくれているのだと初めてわかった。
――ワンピースとか、女の子っぽい服がいいよ。愉しむんだから、それらしい格好をしなきゃ。
 いろいろしてくれる奈々果に世話を焼かれながら、奈々果と手をつなぐことがなくなったのはいつからだろうかと思い出していた。奈々果が小学校に上がるまでは、奈々果はわたしの手を握って放さなかった。
 どこに行くのにもくっついてきて、わたしの姿が見えなくなると、不安げにわたしを呼んだ。
 面倒ではあったけれど、わたしはべつにそれが嫌ではなかった。
 わたしは妹を大事にした。それは嘘じゃない。ただ、安心させてやることが出来なかっただけだ。
 昼寝の途中で、奈々果はよく泣きながら目を覚ました。
 置き去りにされる夢を見るのだと言った。誰に置き去りにされたのかと聞くと、わたしだと言った。
 小学校になって他に友達が出来ると、奈々果はわたしを避けるようになった。
 視線が嘲るような笑みを含んで、声は親しげだけれど冷え切っていた。
 わたしのせいだとわかったけれど、わたしにはなにが間違っているのかわからなかった。
 母がおかしくなって、わたしたちの溝は決定的になった。奈々香は母が死んだのはわたしのせいだとなじって、それを聞いた父は奈々香を叩いた。それから、ほんとんど会話をした記憶がない。
 もう、諦めていたことだった。もう一度、奈々果がわたしに笑いかけてくれるとは、思っていなかった。
「さあ、いくよ」
 奈々果は言って、わたしの手を引いた。
 実家の玄関収納の扉は、大きな鏡になっていて、わたしは妹に手を引かれる自分の姿を見た。
 水色のワンピースと、さらさらとした長い髪。夏を知らないような青磁色の肌。漆黒の瞳。つま先の見えるファブリックのサンダル。見た目は悪くない。たぶん、美少女で通用すると思う。
 けれど、どこか人間離れした雰囲気は、どんなに笑顔を作っても消えることはなかった。
「大丈夫、いけてるよ。あたしが男だったら、ほっとかないもん」
 奈々果は、外出をためらうわたしを笑った。

 田舎町の繁華街は薄汚れていて、壁面には消えていった建物の跡が、ペンキの塗れていない部分や色褪せとなって年輪のように刻まれている。鉄筋コンクリートのテナントビルは遺跡のような木造の民家と混じりあっていて、路地に入ると、坪庭のような軒先をくぐったりした。
 あまり健全な場所とは言えない。奈々香はいつもこんなところへ出入りしているのだろうか?
 わたしの表情に気がついた奈々香は、朗らかに笑って言った。
「大丈夫だよ。仲間うちのパーティなの。いいひとばっかりだよ」
「わたし、ういちゃわないかな……じょうずに話とかできないし」
「だまって座ってたって、大丈夫だよ。そういう人もいるから。おねぇちゃんは可愛いから、みんなほっとかないよ」
「そうだといいけど」
 トンネルを抜けるようにして路地を抜けると、目の前にはさびれたテナントビルがあった。
一階店舗はテナント募集の張り紙があって、かっては店舗だったらしいガラス張りの部屋には、パイプ椅子が一個だけ横倒しになっていた。
 嫌な予感がした。
「ここなの?」
「そうよ、二階のホール。ちゃんとした場所はお金がかかるでしょ? 安く借りられるのよ」
 奈々果はためらうわたしの手を引いた。
 ビルの真ん中には薄暗いホールから狭い階段が続いている。
 モルタルがむき出しの階段には、缶スプレーで落書きがあった。ビールの缶や、お菓子の袋が階段の途中に並べてあった。
 一度折れて、上がりきった先も小さなホールだった。煙草とお酒のようなにおい。体臭のような嫌なにおいも混じっていた。
 部屋の中から音楽が聞こえた。けたたましいガラスを割るような旋律だった。
 かっては、バーかなにかだったのだろうか。
「こっちよ」
 奈々果はわたしの手を引いて、扉を押した。
 眩しくて、目が慣れるまでなにも見えなかった。スポットライトが入り口に向けられているのだ。
 目が慣れると、わたしたちは何人もの男に取り囲まれていた。
 上半身裸の男もいたし、腕に刺青のある男もいた。男の胸のネックレスが光を受けてきらめいていた。
 男たちのどよめく声があがった。
 誰かが笑いを含む声で言った。
「まじでいいの? 家族のきずな壊れちゃわないか? ナナ」
 わたしが振り返っても、妹は目を合わせなかった。横を向いたまま、しわがれた声で言った。
「関係ないよ。この頃、そいつ気持ち悪いんだ。なんか、かんちがいしてる」
「……どういうこと、奈々果」
 奈々果の顔が、苦痛に耐えるように歪んだ。
「名前で呼ばないで。もう遅いのよ。いまさら好きになれるわけないでしょ……あたし、気分悪いから帰る。後は勝手にやって」
 きびすをかえした奈々果の前に、大きな体の男が立ちはだかった。
 自分の胸板や腹筋に自信があるのだ。男は上半身裸で、浅黒い肌は油を塗ったようにつやつやしていた。
「そう言わずに、一緒に愉しんでいけよ。どうせ暇なんだろナナ」
 奈々果は男をにらんだ、奈々果はとても小柄なので男からしたら子供のようだけれど、強い光の満ちた目で睨まれると、たいていの人はたじたじになる。奈々果はある種のエネルギーに満ちていた。屈服しない、従わない、誰にも命令させない。そういうエネルギーだ。
「ふざけないでよ。わたしそういうんじゃないの。知ってるでしょ」
 でも、この男たちにはそんなこと関係ない。
 男は、手加減なしで奈々果の顔を殴った。顔の真ん中を殴った。奈々果は顔を抑えてしゃがみこんだ。指の間から血がこぼれた。
「ナナも共犯だからな、どこにも言っていくとこねぇだろ。だから、もう気を使う必要ないんじゃないかってことになった。女王様気取りがむかつくんだよね」
「てめぇ殺すからな。ぜったい殺す。つけねらって絶対刺してやる」
 きしるような声でいう奈々果のおなかを、男は蹴り上げた。息ができなくなった奈々果は、コンクリートに顔をつけて、倒れた上半身を支えることになった。
「こわい、こわい。ナナはほんとにやるからな」
 他の男が、床に突っ伏した奈々果の首を押さえた。奈々果は暴れたけれど二人で押さえられたらどうしようもなかった。誰かが音楽のボリュームをあげた。
 わたしは夢を見ているような気分だった、シュールな悪い夢だ。日常に暴力は転がっていないのに、なぜかわたしの前には、白日夢のように血と体液が撒き散らされる。
 わたしの体を、ふしくれだった手がまさぐった。腰を這い、乳房をこね、お尻をわしづかみにした。背中から貼ってくる手は、二本だけではなかった。
 首を押さえられ、お尻をつき上げた姿の奈々果は、スカートを捲り上げられていた。白い肌が光をうけて浮かび上がった。何本もの手が下着をひき下ろした。男たちは首を押さえすぎだ、息が出来なくて苦しいのだ。奈々果は暴れていて、しばらくすると痙攣しておしっこをもらした。
 男たちはげらげらと笑った。
 手にほうきを持って、手のひらに打ちつけている男がいた。ほうきを持った男は二人いた。
「おねえさんもしっかり見ててね。協力的なら優しくするけど、可愛げのないことしたら、きっと、怪我をしちゃうよ。ほら、あんなふうに」
 男たちは、二本のほうきの柄を、奈々果のお尻に突っ込んだ。なにかを裂くような悲鳴がして、白い太ももを血がひとすじ這った。奈々果は暴れなくなって、引き締まった小さいお尻の筋肉が震えていた。
 次の男はバットを持っていた。金属製のバットだ。スポーツの器具だけれど、いまは人間の暴力そのものにしか見えない。征服の道具だ。男の人のあそこと一緒だ。
「太いほうは無理かなぁ」
 後ろから、下着の中に手が差し込まれ、指がわたしのなかに差し入れられた。湿った感じがあって、べつに痛くはなかった。
「あら、妹があんなになったのに濡れちゃったの? 悪い子だねぇ」
 男はわたしの手を取って、堅くなったそれを握らせた。
 なんの感慨もなかった。奈々果をこれ以上怪我をさせないようにうちに帰すには、わたしが相手をするしかないのだ。
「……奈々果を放してあげて。どうすればいいの?」
 わたしは、男の言うとおりにした。口をつかってでベルトを外し、なんとかボタンを外して、ズボンをおろした。ボタンはなかなか外れなくて、ズボンは唾液でべとべとになった。
 その間、男たちはずっと楽しそうに笑っていた。
 汗臭い下着を加えてずりさげ、すでに堅くなった男のそれを口に含んだ。
 その瞬間、奈々果が子供が泣くように号泣するのが聞こえた。
 ふたつ、わかったことがある。
 一つは、人は強く憎み、同時に強く愛してしまうことがあるということ。
 もう一つは、SEXが快楽ではなく、征服の道具としても存在しえるということだ。
 誰かが、後ろからわたしを貫いた。初めてなのできっと出血している。
 せっかく奈々果が選んでくれた服が汚れてしまうと思うと、なんだか少し残念だったのを憶えている。
「こんなんじゃすまないからな。おい、ナナずっとだぞ。卒業まで、卒業しても、まいにち姉妹でなぶりものにしてやる。おまえはそうされても仕方がないことをしたんだよ」
「あきたら、他の男呼んでやるからな。汚そうなのをいっぱい集めてやるかんな」
 奈々香がなにをしたのかは知らないけれど、男達は奈々香を憎んでいた。たぶん奈々香が死んでもいいと思っていた。いやむしろ死んでしまえばいいと思っている。
 暴力で物事をはっきりさせる男達だとわかった。
 だとすると、奈々香を守る方法は一つしかなかった。

続く

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