HOME| 【APOPTOSIS】| (1/12)(3/12)(5/12)(7/12)(9/12)(11/12)

【APOPTOSIS】(4/12)R15注意

反社会性についてはおもしろい研究が―

本文

【戻る】HOME【次へ】

 反社会性についてはおもしろい研究が残っている。
 その昔、ロンブローゾというちょっとはじけた感じの研究者がいて、『犯罪者論』という著作を現して、犯罪に及ぼす遺伝的要素を考察した。
 ロンブローゾは、骨相学、観相学、人類学、遺伝学、統計学、社会学などの科学的な知見を動員して、人間の身体的・精神的特徴と犯罪との相関関係を大真面目に検証した。
 その手法自体が、ぼくにはやや狂気のにおいを感じさせるのだけれど、ロンブローゾは処刑された囚人の遺体を解剖して、頭蓋骨の大きさや形状を丹念に観察した。
 彼は犯罪者の身体的特徴を、原始人の遺伝的特徴が隔世遺伝によって発現した、いわゆる先祖返りと説明する。
 入念かつ、やや偏執的な調査の末、ロンブローゾはこう結論する。
 文明社会に適応することができず、犯罪に手を染めやすい、先天的に宿命付けられた人間が存在すると。
 彼はこれを「生来的犯罪者」と呼んだ。救済の可能性がない生まれつきの犯罪者。
 現在、ロンブローゾの結論が有意であるという、科科学的な証拠は見つかっていない。
 擬似科学の域を出ない陳腐な学説として斥けられるようになっている。
 また、ロンブローゾは家系調査に興味を抱き、泥棒で飲んだくれのアーダ・ヤルクスと女たらしのマックス・ジュークの間に生まれた子どもたち『ジューク家』の子孫を調査し、その結果を紹介している。
 『ジューク家』の子孫は、六代を経る中で約1200人の怠け者、背徳漢、漁色、貧窮、病弱、知的障害、精神病者、犯罪者を生んだ。
 この間に440人が病的な行為で肉体的に破滅、前科者は130人で、60が窃盗、7人が殺人。手に職をつけたのはわずか20人だった。
 州政府が『ジューク家』一族のために費やした金額は合わせて300万ドルを越えるという。
 現在は犯罪因子の芽生えには、環境要因の影響が支配的であるとされている。
 でも、検証はできない。人間はモルモットじゃないからだ。こっちで交配させ、あっちで交配させ、どの個体が破滅するのかを確認したりはできない。
 だから、今でも犯罪遺伝子を、最高の分子工学テクノロジーで捜しだそうとする研究者はいる。
 その様子はまるで、呪われた人類が、贖罪を求めているようにも見える。
 たぶん、人間の性善説を信じるこれらの研究者は、こう言いたいのだ。
――この者たちに罪はありません。
――この者たちは、望まずして、このように生まれてしまったのですから。


 公僕という言葉がある。公衆に奉仕する者という意味だ。
 市民の生活を一番に考えて、市民の幸せの為に、身を粉にして頑張る。
 じゃあ、ぼくの幸せは?
 どうでもいいことなのかも知れない。ぼくは人を助けても幸せになれないのに、人を助けられなかった時は確実に不幸になる。アンバランスで、一方向的だ。それは、もしかしてぼく自身の問題なのだろうか。
 小学四年生の時、まだ自分の在り方も分からない時に、ぼくは母の運転する車で事故にあった。まだ自動運転コミュの普及していない時代だ。
 母もぼくも重傷で生死の境をさまよい、結果として、母は無事に日常へと帰還し、ぼくは首から下を動かすことが出来ない体になった。
 それが母をおかしくした。
 事故に会った日から、ぼくは母の顔を見たことがない。ぼくは母を恨んでなんかいない。自分の体のことは自分で克服した。今では健常者以上の能力を手に入れている。けれど、母はぼくと会うことができない。その重荷に耐えることが出来ないのだ、と父は説明してくれた。
 厚生労働省の先進医療実証プログラムにより、ぼくは体を取り戻した。
 ぼくの神経伝達回路のかわりをしているのは、体中にくまなくちりばめられたナノマシンと、脳の機能と間をとりもつ生体親和性の電子デバイスだ。新しい異質な概念の神経系を操作するために、ぼくの脳は長い期間をかけて適応し――もちろんIPS細胞投与など脳機能サポートの助力も借りて――正常な身体のコントロールと一緒に、拡張身体感覚を使いこなす為の下地を手に入れた。
 簡単なことじゃない。初期の段階では、体は粗野な動きしか実現できず、時にはコントロールを失った。骨折、断裂、実際にはない幻痛。体のコントロールが出来ないために恥ずかしい思いもをした。仕方ないのよ、まだリハビリの途中なんだから。そういって看護婦さんは後始末をしてくれる。
 そういう事を、ぼくはぜんぶ、自分で克服した。
 そこから先は選択だった。先進医療実証プログラムへの研究成果を支払いとして普通の人々に戻るか、肉体拡張技術の実証検体として、さらに人類の見たことがない所までいくか。
 ぼくは後者を選んだ。 
 全身の自由を失ったという事象は、逆に言えば、肉体から完全に解放されたと表現できないこともない。
 全身まひの医療結果として得られた、インターフェース能力。
 電子記号構造物親和性。
 ぼくは混乱におちいる事もなく、発狂することもなく、一度に複数の体を受容、操作することが出来る。
 一人で、捜査活動と制圧行動を実現することができるし。目の前の人間の顔色を探りながら、同時にネットで言動の裏を取り続けることもできる。
 そんなことを考えていたのは、歩いて家に向かっていた時だ。
 セキュリティの面では問題があるが、ぼくはラボの近くに家を借りている。通勤は歩くことにしている。体を使わないと体感覚にずれが生じてくるからだ。
 この辺りの眺めは、気味が悪いほど同じだ。車がいない広い道路、豊富な街路樹、木陰に隠れるようにしてある、木造の住みやすそうな家。観察カメラの映像をインターセプトすると、リスの姿も見える。
 たぶん、肉眼情報では家にたどりつくことが出来ない。だって同じ眺めだから。
 ただGPSで自分の位置は副現実として映し出されている。自宅マーカーは直線距離であと百メートルの所に表示されていた。仮想位置を示す矢印も、木陰で控えめに揺れている。
 副現実インタフェースは好みにより様々で、眼鏡型を使用する人もいれば、インプラントで直接視角野に投影する人もいる。後者の欠点はアップトウデートが難しい点だ。もちろん、昔ながらの携帯端末で済ます人もいる。
 ぼくの場合はコンタクトレンズ型で、これはぼくが自前の頭部に特別な思い入れを持っているからだ。唯一自前の神経線維で動かしている頭部には、あまり手を加えたくないのだ。
 家の前に訪問者のアイコンがあった。その人物は特定情報をぼくに対してオープンにしている。女性、三十二才、未婚者。西宮はるかだ。
 目に見える距離にくると、西宮はるかは少女のように手を振った。
「木山さーん。電話してくださいって言ったのに」
 ぼくはやや、疲労感を感じつつ、おざなりに手で挨拶を返す。
 あなたに、悩まされている。これ以上はもうかんべんだ。
 今日は白衣を着ていない。素朴な綿を使った服と枯葉色の長いスカートを身に着けている。まるで偶然友人に会ったような笑顔だが、偶然でもないし、友人でもない。友達なんかいたことはない。脳裏に惣領かえでの横顔が浮かぶ。友達だったかな? でももう、どこにもいない。
「仕事帰りですか?」
「ええ、他に行くところないから」
 自宅のドアに向かう階段の前、歩道の街路樹の下で、ぼく達は話をした。
「食事でもどうですか?」
「……プロでしょ。患者に誤解されるよ」
「わたしに患者はいません、クライエントです。斎藤さんもちゃんとわたしに支払いをしてくれていますよ」
「必要のない報酬でしょ」
「金額の大小ではありません。契約ですから。わたしにとって報酬は、クライエントの信頼の証です」
「ぼくは……あなたを信頼していない」
 少し前から気がついていた。
 ぼくの自宅には遠隔操作偽体が装備されている。いざという時に自分の身を守る必要があるからだ。ぼくは偽体の起動シークエンスを開始する。
 取り囲む物体の識別記号は、公共資産であることを示している。この社会インフラは人間のように移動していた。偽体だ。たぶんぼくの同僚だ。
 同期チェック、七十パーセント完了。
 間に合わない、拡張感覚のチェックを優先し、ハミングバードを起動。六体のカワセミは郵便受けをくぐってぼくの家を出る。高度を上げて視界を確保。人影、人に似た物の影。やはり偽体だ。二体。たった二体で、このぼくを制圧する気か? 馬鹿にしている。
 同期チェック完了。火器管制脳起動。
 ぼくの義体はマニュピレータに、個人防御火器、PDWと分類される銃を装備した。口径が小さく初速の高い弾頭。アサルトライフルとサブマシンガンの中間に位置する、携帯性を重視する銃。でもその威力は拳銃弾の比じゃない。アラミド繊維のカバーで覆われた義体のカーボン骨格にダメージを与えることができる。
 西宮はるかは、微笑みを浮かべたまま、ぼくのそばに立って腕を取り、小さな声で言う。
「助けて」
「簡単じゃないんだけど」
 ほんとうに簡単じゃない。この状況だって、ラボのエンジニアに乗っ取られないように対策行動を取りながら進めているのだ。あらかじめ感染させておいたサーバープログラム――世間ではおおまかにトロイと木馬と呼ばれる。昔ながらのソフトウェアだ。ぼくのはお安くないので、市販の対策ソフトで検出するのは不可能だ――を起動し、エンジニアがぼくの偽体を停止させたりできないようにしないといけない。まさか役に立つ時がくるとは思わなかった。
 偽体はある程度スタンドアローンで稼働するので、襲撃者の動きを止めることまでは出来ないが、支援なしのイコールコンディションなら、負けるような気はしない。
 襲撃者の偽体が装備しているのは、電撃弾頭をガスで発射するテイザーだった。体に刺さると、地面にアースを落として電撃を食らわせるタイプの弾頭。どうやら殺す気はないみたいだ。
 後ろにかばった西宮はるかは、偽体の姿と銃を見て硬直していた。第五段階の人格者でも、突然の死のにおいは、やはり恐怖を誘うらしい。背中でぼくの上着を強く握りしめている。結果的にぼくも機動性を奪われた。
 ぼくは六体のカワセミから送られる画像情報を解析し、偽体の位置情報を特定した。まだ家の中にあるぼくの偽体には、その位置が目標指示カーソルとなって映っている。ぼくは照準装置のドットをカーソルに合わせ、トリガーを引いた。セフティを兼ねた二段階のクリックがあるトリガーだ。
 これはぼくにしかできない技術だ。普通のオペレータはがんばっても一体のカワセミしか操作することが出来ない。画像から三次元情報を得るには三点の標識と二台のカメラが必要だ。だから無視界射撃はぼくだけが可能な技術ということになる。
 まあ、他の人達も固定カメラと他の偽体の視点があれば同じことは可能なのだけれど、自分でカメラを操作するのではなければ、なかなか都合のいい画像は得られない。
 紙みたいにドアを貫通した銃弾は、目の前の義体のマニュピレータを破壊した。虫の羽根が唸るような音の、短い斉射だ。
 西宮はるかが、押し殺した悲鳴を上げた。
 ぼくは偽体の火器管制に位置修正情報を送る。機能停止には胴体部を破壊する必要がある。
 偽体は、修正情報で設定し直されたカーソルに、再度照準する。こんどは長めの斉射を加えた。PDWは反動が小さくコントロールしやすいのも利点だ。偽体の能力であれば、非常に小さな範囲に集弾させることが出来る。
 ぼくらの目の前で、火花が散り、繊維が剥がれ、輸液が飛び散る。
 胴体の制御部を破壊され、偽体は沈黙した。
 木の葉の間からぼとっと音を立てて落ちてきたのは、襲撃者が操っていたハミングバードだ。操作信号が消失すると、安全の為に緩落下するように出来ている。
 二体目の偽体は、警戒して物陰に身を隠した。
 ぼくは偽体のポーチから弾倉を取り出して交換した。取り換えの様子は電池交換に似ている。外した弾倉はまだ残弾があったけど捨てた。必要なら、あとで拾えばいい。
 皮肉な感じだ。遠隔操作偽体が経験する初めての銃撃戦が、同士討ちになるとは。
 どうなってんだ、片岡さん。西宮はるかを私刑にかけるつもりか?
「大丈夫?物陰に行こう。歩けるかな?」
「歩けるわ。馬鹿にしないで」
 ぼくは血の気を失ってしまっている西宮はるかを、街路樹の陰に座らせた。腰のプラスティックのホルスターから、ポリマーフレームの銃を抜く。ドイツ製の小口径、やはり貫通力と操作性に優れた銃だ。引き金を引くだけで必ず弾が出るシンプルさが売りだ。メカニズムは八十年も前にポリマーフレームを実現したオーストリアの銃を踏襲している。
 偽体の構造を破壊するのは無理だが、光学センサー狙いで無力化は可能だ。
 カワセミの映像は、残りの偽体が装備を交換している様子を伝えてきた。バトルライフルだった。義体に対して十分な運動量を生む、昔ながらの7.62×51mm質量型弾頭。よほど距離がないかぎり、あまり人間に向けては撃たない。中距離で人体を破壊するには必要以上だからだ。口径を小さくして弾をたくさん持った方が得だ。じゃあ、こいつらは最初から対偽体戦闘を想定していたことになる。
 この偽体操作の癖は斎賀亮平だった。
 どの時点で誰に嵌められたのか、ぼくにはわからない。
 交信チャンネルを探し、斎賀亮平と話をしようとする。
『なんの真似だ? これは令状にもとづく逮捕なのか?』
『邪魔するな。身柄を押さえれば説明する』
『いま、説明しろ』
 斎賀亮平は交信を絶った。
 バトルライフルとまともに銃撃戦をするつもりはない。光学照準もあっちの方が精度が上だ。
 ぼくは付近を通ったコミュの外部環境参照信号に割り込み、自動運転の自立制御に干渉した。最大速度、時速百二十キロメートルまで助走をつけ、バトルライフルを構えた偽体を、街路樹をかすめて跳ねとばす。
 偽体は二十メートルほど跳んで、街路樹に激突して止まった。
 動かなくなったのは機能チェックシーケンスが始まったからだ。まだ沈黙してはいない。偽体は人間より頑丈だ。
 カワセミを操作して、頭部センサー系のカメラに注射筒(シリンジ)のゲル状爆薬をたっぷりと塗りつける。そのままで信管で爆破。
 ぼくはその間に自分の偽体を歩かせていた。
 自宅のドアを破り、腰を低くした警戒姿勢でやって来た偽体を使って、ぼくはPDWの一弾倉分を襲撃者の胴体に叩きこむ。
 完全に沈黙を確認した。
 後半戦は全部、ぼくたちからは死角になった場所で起こった現象だ。現在の戦闘では、もう敵の姿を見ること自体が難しい。
「……終わったの?」
「とりあえずは。でもあまり時間はないよ。偽体は何キロかごとに配置されてる」
 ぼくは震えている西宮はるかを、手を引いて立たせた。
「ごめんなさい。こんなことに巻き込んでしまって」
「話は後でゆっくり」
 ぼくは義体を呼び寄せ、PDWを受け取った。胸のポーチから予備の弾倉を引っ張り出す。未使用弾倉は八個。PDWは輪っかになったスリングを引っ張り出せば、脇の下に吊ることができる。一度上着を脱いでからPDWを隠し、上着を羽織ってから、ポケットに予備弾倉を詰め込んだ。
 すこし不自然だけど、どうせこの国の人は銃なんか知らない。
 六体のカワセミが戻ってきて、ぼくの上着のポケットにもぐり込んだ。おかげで着ぶくれて、もこもこだ。
 でも、こいつらは頼りになる。
「どうするの?」
「こんなこともあろうかと、自分で用意した隠れ家がいくつか。コミュをインターセプトして待機状態信号を偽装する。電子的には見えない車でドライブにしよう。ほんと困った人だ」
 コミュがやって来て、ぼく達のそばに止まった。すでに制圧済みだ。GPSの座標は現在位置で固定され、機能確認のため待機、の信号を出している。少し離れたら、いくらか歩いてまた乗り換えだ。
「置いていくの?」
 西宮はるかは偽体の方を見た。助けてもらったのにとでも言いたげだ。
「助けたのはぼく。それは人形。連れていくのは目立ちすぎるよ。行こう」
 ぼくたちはコミュに乗り込んだ。

      続く

【戻る】HOME【次へ】

Copyright (C) ずかみんの幻想工房. All Rights Reserved.
inserted by FC2 system