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【APOPTOSIS】(11/12)R15注意

夢遊病者のように隠れ家に戻った―

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 夢遊病者のように隠れ家に戻った。戻るには帰巣本能が必要だった。
 途中でコミュを二台使ったけれど、ずいぶん足も使ったように思う。泥のような疲労感があった。
 戻ったら、もう明け方だった。
 あれほど言っておいたのに、西宮はるかは部屋でじっとしていなかった。
 隠れ家に戻ったら姿が見えない。
 どこへ行ったかわからないので拡張脳を使い監視カメラの映像を検索すると、彼女は地上に出て、倉庫の中にいるみたいだ。地上の空気を吸いたくなったのだろうか?
 ぼろぼろで疲れていたけれど、ほうっておくわけにはいかない。
 ぼくは、ショルダーバッグをソファの上に放り出し、冷蔵庫から取ったミネラルウォーターを一息に飲み干した。
 ため息をついて、地上へ続く梯子に手をかける。天井にトンネルが続いていた。
 この梯子は厄介なのだ。途中でなんども背中で体重を支え、両手で扉を操作しないといけないように出来ている。ちなみに登る時はいいけれど、降りるときは自分の体が邪魔になって扉の操作ができないようになっている。このトンネルは一方通行なのだ。西宮はるかはどうやって部屋に戻るつもりだったのだろうか?
 苦労して地上に出ると、西宮はるかは、倉庫の真ん中へ運んだダンボールに座っていた。うまく組み合わせて、ちょうどテーブルとイスみたいな感じになっている。今はちゃんと服を着ていた。逃げ出す時に着ていた、英国風の庭園が似合うような服だ。ダンボールのテーブルにノート型端末を置いて見入っていた。
 倉庫は高い位置に採光用の窓があるだけなので、暗くはないけれど、ちょっと圧迫感がある。壁は配管や電線管ごと薄緑のペンキに塗られているので、フェリーの船倉にいるみたいな印象があった。
 消防用品のダンボールは、ちゃんと中身が入っている。だって本当に営業していた倉庫をまるごと買い取ったんだから。
「戻ったのね」
「……どうして言ってくれなかった? まわりくどいことしなくてもよかったのに。あなたは異常者だからもう死んだ方がいい。簡単だ。誰にも迷惑をかけずに済んだ」
「惣領かえでの願いだったからよ。惣領かえではあなたを死なせたくなかった。あなたが好きだったから」
「死ぬなら、彼女ではなく、ぼくのほうがよかった」
「結果論ね。負け犬のいいそうなことだわ」
 人のことを犬呼ばわりだ。誰だ、こいつの事を人格者って言ったのは。
「わたしはね、止めようとすれば、いつでも止められたの。公表すればいいのよ。日本は善意社会だもの。すぐに人道的な論議が巻き起こって、こだま計画は世論に否定されるようになる。いままでわたしが命を狙われなかったのも、わたしが反対論者じゃなかったからよ。わたしは秘密の共有者で、立案者で、共犯者なの。助けようとしたのは、ただ、自分をごまかす為。誰だって自分の事を冷酷な殺人者だとは思いたくないでしょう」
 座ったまま、西宮はるかは、ぼくを見上げた。光が降り注いで、黒髪が透けるように光っていた。
 彼女は視線を合わせたかったみたいだ。でも、ぼくはうつむいていた。なんだかぼくは、みすぼらしい生き物みたいだった。
「わたしも卑怯者なのよ。一方の手で斧を振り下ろして、もう一歩の手でクライエントの手を握っていた。助けるからわたしを信じてって……最低でしょ」
 じぶんでも驚いたけれど、ぼくは泣いていた。子供みたいに。
――もう、無理です。だれかぼくを助けてください。せめて、なにもかも終わりにしてください。
 ぼくは、斎賀亮平がなにもかも終わりにしてくれるかも知れないと思っていたのに……。
 彼女は立ち上がって、泣いているぼくを抱きしめた。
「泣かないで。わたしはあなたを見てはじめて、自分のしていることに疑問を覚えた。あなたがいずれ壊れてしまう人だと言うのは分かったけれど、わたしにはどうしても、あなたが殺されなければいけない人間には見えなかった。だから、助けようとしたのよ。わたしも、惣領かえでも」
 西宮はるかは、母親がするようにぼくの背中を撫でた。安心させるように。
「したいことはもう全部終わった? わたしも終わったわ。一緒にいてあげる。一人になりたくないでしょ」
 終わった? どういうことだ。
 ぼくは、西宮はるかが見ていたノート端末に視線を走らせた、副現実用のリンクを繋ぎ、内容を確認する。これは彼女のブログだ。二万人のフォロワーを持つ西宮はるかのコミュニティ。文字が目に入る。

 みなさんに大切なお知らせ。わたしは人殺しです。

 ぼくは自前のウェブ走査脳を使って、事実を確認する。
 書き込みは、テキストと動画の両方で行われている。ぼくは動画を確認する、五倍速で。ぼくの脳は、その再生を正常に認識できる。

 ノート端末のカメラの前に、ちゃんと化粧した西宮はるかが座っている。
「わたしはみなさんに嘘をついていました。わたしはカウンセラーだけど、誰も助けていません。もし、わたしに助けられたと思っている人がいたら、それはたぶん、わたしがいなくても、自分で自分を助けられた人です。わたしは本当に助けないといけない人を、誰一人、助けていません」
 首筋までの短めな髪、飾り気のない眼鏡。
「三年前、わたしは警察庁の依頼を受けて、研究に協力しました。「潜在犯、被害者の心的ストレスケアに関する研究」というタイトルの学術的研究です。その内容は、近い将来に犯罪を起こす人物を特定し、明らかにする研究でした。その研究には、その未犯者――まだ犯罪を起こしてはいないけれど、いずれ犯罪を起こす人々――を排除する方法も含まれていました」
 やや疲れた感じの笑み。
「心を操作して自殺に追い込むんです。反社会性人物を殺害し、将来の社会コストを低減させる研究。それをわたしたちは、【APOPTOSIS PROGRAM】と呼びました」
 すこしためらう様子があったけれど、長く迷いはしなかった。
「警察庁の運営するカウンセリング人工知能――こだまシステム――は、殺害の為のエンジンです。捜しだして、追いつめて、殺害する自動装置になっています。警察庁でも、ごく一部の人間しか、そのことを知りません」
 西宮はるかは、カメラを真っ直ぐに見て。言葉をつづけた。
「わたしは知っていて、黙っていました。わたしは共犯者です。わたしはこの事実をみなさんに問います。自分の未来のために人を殺すのか、それとも誰かの未来のために、リスクを甘受するのか。どちらが正しい選択だとも思いません。それは、たぶんあなた達が決めることです」

 現実に戻ると、西宮はるかは指でぼくの涙を拭っていた。
「あなたくらいは、助けてあげたかった」
 ハミングバードは電磁波パルス(EMP)で全部やられているので、ぼくが外界を知る方法は限られている。でも外の監視カメラを操作することは出来るので、数えきれないほどの偽体が、倉庫を包囲する様子はわかった。
 彼女の書き込みのIPから、だいたいの位置を特定し、あとは周辺情報を検索して、所有者の不審な建築物、つまりぼくの隠れ家を洗い出したのだろう。スピードからいうと、いくつか法律を破っている。片岡警視正はいい仕事をする。
 西宮はるかを逮捕するつもりだろうか? 事故をよそおって殺害するよう指示が出ているのだろうか? 気が違った女の妄想として事件をもみ消すように、筋書きが出来ているのだろうか?
「勝手だな。もう死んでもいいって思ったの? あんたも異常者だ」
「あたしは、最初から異常者よ。母が死んだ時からずっと。誰も殺さなかっただけ」
「悪いけど、簡単に楽にはさせないよ」
「あたしも、あなたにそれを言ってみたかった」
 倉庫の壁が崩壊した。突入の為に、方向性爆発で壁を破ったのだ。鼓膜がきーんと音を立てているけれど、行動に障害が生じるような痛みはない。
 爆破で出来た開口部は二つだった。銃を持った偽体が、開口部から侵入してくるのが見える。
 すでに、チェックシークエンスは終えていた。
 ぼくは西宮はるかの体を引き倒して、姿勢を低くさせた。被さるようにして守る。
 倉庫に積み上げられたダンボールの山から、多次元機動捜査研究室の偽体より一回り大きい、二体の偽体が現れた。爆発するようにダンボール箱が飛び散る。偽体のいくつかはダンボールの直撃を受けて転倒した。消火器がつまった重い奴をまともに受けたのだ。 
 この偽体の全備長は2400ミリあるので、人型でも、もう人間には見えない。大きくなったのは要求稼働時間を満たす電池の重量が、これだけの出力を必要としたからだ。この偽体は八時間連続稼働する。逃亡を終えるには十分な時間だ。
 自分でスペックを決めて、自分で設計させた。裏の義肢技術者は、腕試しの機会に飢えている。
 部品は、偽の生産情報を、大手の管理システムに割り込ませて作った。機械大手企業の部品調達は無人化工場と宅配で行うのが普通になっている。材料とCADデータさえあれば、自動工作機械がたいていの物を作ってくれるのだ。
 装甲を形成しているジグソーパズルのような超硬合金は、焼結金属を得意とする工具メーカーで作ったものだ。それをバインドする粘着性樹脂は、大人のおもちゃの材料として購入した。人工筋ユニットはネット機械部品販売で、堂々と入手することができる。
 制御ソフトは、申し訳ないけれど、多次元機動捜査研究室で偽体に使用している物を拝借した。 
 偽体は人間じゃないので、遠慮する必要はない。
 ぼくの偽体は、マニュピレータにミニガンを装備している。電気の力で駆動する多銃身の破壊装置。冷却装置を備えて毎分二千発の雲のような弾幕を張ることが出来る。
 ぼくは偽体の腕を操作して、侵入してくる研究室の偽体を薙ぎ払った。トレーサーがオレンジ色に輝いて射線を可視化する。偽体は真っ二つになったり、腕や足をまき散らしたりしている。火花と輸液が花火のように踊っていた。
 流れ弾が外の人間を傷つけるといけないので、あまり射線を上げられないのが難点だ。どうしても膝かふとももを破壊してゆく感じになる。まあ、倒れた所で破壊すればいいので、実用上の問題はない。
 と同時に、ぼくはテレビ局に連絡を取って、事件の詳細とこの場所の位置情報を送った。観客が必要だ。倉庫を出たところをいきなり狙撃されたくない。
 射線をくぐり抜けてきた偽体が一体、PDWで射撃を仕掛けてきた。偽体の複合装甲はPDWの弾丸なんか跳ね返してしまうけれど、あたりを跳弾が飛び回るのはうれしくない。はるかに当たるかもしれないから。ぼくはサッカーボールを蹴るようにその偽体を蹴飛ばした。ぼくの特製偽体のすねには自分に損害を与えないように緩衝器つきの重り――この場合、衝角(ラム)といった方がいい――がついている。その運動エネルギーは圧倒的で、偽体は二つに千切れて飛んでいった。
 ぼくは偽体を屈ませた。偽体の背中には掴まるためのタラップとハンドルがついている。ぼくは自分でやって見せて、西宮はるかに言った。
「つかまって! 脱出する」
 損害が明らかなので、もう次の偽体は突入してこなかった。防御盾を持った人間が、周囲を取り囲んでいる。ミニガン相手にそんなもの役に立たない。ミニガンは車だってばらばらにしちゃうのだ。
 倉庫街の十字路は、警察関係者だけで人だかりになっていた。
 もう、交通封鎖されている。
 周囲を取り囲んでいるのは、この地域の警察官たちだ、怪我をさせるわけにはいかない。
 ぼくは偽体の肩に装備した、画板のような板を人間たちに向けた。
 ADS。アクティブ・ディナイアル・システム。簡単にいえば電子レンジの一種だ。
 電磁波の誘導加熱で、皮膚表面の温度を上昇させる。ごく薄い表面での現象なので実際に火傷はしないけれど、皮膚は錯覚を起こして、重度のやけどを追っているような感覚に陥る。
 出力を上げると、警官たちは悲鳴をあげて、蜘蛛の子を散らすように逃げていった。いたたたって感じだ。ちょっと同情する。
 上空を警察のティルトローターが旋回していた。情報収集と追跡に備えての用心だ。国外に逃亡するような航続距離はないけれど、足跡を消すのには使えそうな気がする。いただくことにした。
 ウェブ走査脳を使いいくつかの方法を試して、結局、警察の航空本部にある飛行状態の遠隔監視システムの掌握に成功した。システムは機体状態を把握する為、テストプラグラムで機体の操作を確認できるようになっている。その能力を拡大解釈して、ぼくは機体を乗っ取った。
 ティルトローターは高度を下げ、垂直離着陸が可能なヘリモードに遷移してゆく。
 風にあおられて、みなが顔をかばっていた。
「どうなってるの!」と西宮はるかが叫んだ。
――限界だ! これ以上待ったらヘリが巻き込まれるぞ!
 と誰かの声がした。
 遠くにいる誰かが、手りゅう弾みたいな物を投げてよこした。その物体は、偽体の足元に転がる。
 これはぼくも見たことがある。つい昨晩、ぼくが斎賀亮平にくらわしたのと同じものだ。EPFC 、電磁波パルス(EMP)ジェネレータ。
 ぼくの体にあるナノマシンを殺戮する機械。
 炸裂音と共に、ぼくの体はぼくの言うことを聞かなくなった。足から地面に落ちて、なすすべもなく地面に転がった。
 西宮はるかが、悲鳴を上げて手を伸ばすのが見えた。ぼくを、暗い地下から引き上げようとするように。
 でも、先生、もう偽体も動かせないんだよ。
 ごめん、助けられなかったね。
 青い空が見えた。早朝だ。空気が澄んでいる。
 警官たちは、西宮はるかを偽体から下ろし、手を後ろにまわしてコードで縛った。
 年かさの警官が権利を聞かせる。あなたの発言は裁判で証拠として採用される可能性があります。あなたは不都合な質問にたいして黙っている権利があります。あなたには弁護士を呼ぶ権利があります。
 ほんとうに? 彼女は留置所で自殺するような事になったりしない?
 その間も、西宮はるかはぼくを見ていた。母親みたいに気遣わしげにしている。
 でも、ぼくにはどうすることもできない。
 ヘリは高度を上げて、退避していった。飛行モードに遷移してゆく様子がシルエットになっていた。たぶん、操縦者は肝を冷やしただろうな。
 片岡警視正が、心配げにぼくを見下ろしていた。
「よくやった。すくなくともおまえは正しいことをした」
 ちがう、そんなんじゃない。叫ぼうとしたけれどうまくいかない。それで、いま、じぶんがショック状態にあるのだとわかった。急激に体感覚を失ったので、生命維持に必要な機能まで混乱しているのだ。
「道を開けろ! 救急が来られないだろうが!」
 でっぷりとした体を揺らして、片岡警視正が叫んでいた。

      続く

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