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【APOPTOSIS】(12/12)R15注意

ぼくは警察を退職した。ぼくの拡張装備は―

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 ぼくは警察を退職した。ぼくの拡張装備は全部無効化されるようになっている。それ以前に、ぼくの体はひどい損傷を負っていて、歩けるようになるには、手術と一年間のリハビリが必要だ。神経線維レベルの解像度が高いナノロボットを定着させるのは、けっこう時間がかかるのだ。
「事故ではないよね」
 斎賀亮平のことだ。ぼくは償いをするつもりだった。惣領かえでのための復讐とか、残酷な行為への怒りとか、理屈をつけることはできる。でも、ほんとうは違う。
 殺したいから殺したのだ。だだっこのように。
 アポトーシスプログラムで言えば、ぼくは自死の対象だ。
 反社会性因子。憎悪の連鎖を生み出す種。
 片岡警視正は、うすくなった額をこすって、苦笑いのようなものを浮かべる。それにしてもスーツの似合わない人だ。つきでたおなかがボタンを千切りそうになっている。
「取引だからな。斎賀亮平は隠ぺい工作などしなかった。職務中の事故で死んだ。ロジックをすり合わせたら、そういうことになったんだよ。もちろん口外無用というのが条件だ」
 病室は、まあ普通のとおりでベッドがあって、いくつかの生体を監視する機器がある。ぼくの麻痺状態は自発呼吸に障害を与えてはいないので、体が動かないことをのぞけば、普通の病人とかわりない。むしろ扱いやすいかもしれない。いまはベッドを少しおこして、上半身を立てた状態だ。
 壁際のカウンターから上は、ぜんぶ窓になっている。日差しが強すぎないように、表面コートが遮光率を自動調整している。いまは午前中の白いような光が降り注いでいた。窓の隅っこに、蜘蛛のかたちをした掃除ロボットが吸盤で張り付いていた。お尻についたバフを動かしてガラスを磨いている。
 ぼくの運動野はベッドに固定された介護マニュピレータにつながっていて、食事や読書くらいは自分でできるようになっている。
 マニュピレータで、みかんをすすめたけど、片岡警視正は首をふって受け取らなかった。
「医者に果糖を控えるように言われてる。残念だな、それ天然ものだろ?」
 工場ではなく露天で栽培された物かという意味だ。
「そうみたい、高かっただろうね」
 誰が持ってきたものだ、とは聞かれなかった。たぶん、監視しているはずだから知ってはいるのだろう。
「その他のおまえのお茶目な犯罪。窃盗、株価操作、技術横領、銃刀法違反、これらについては、全部警察活動の一部だと押し通した」
「うわ……なんか申し訳ないね」
「おれはなにもいい思いをしていないのに、全部、わたしの責任下で行わせた、と言わされることになった」
 つまり、脅したわけだ。スキャンダルを追加したいのか、と。
「ほんとうに困った奴だ。まあ、おれも同じことをしたかもしれんがな。もう、市民なんだから、趣味で武装するのはやめろよ」
 こういうことだ。ぼくは片岡警視正に、一生、頭が上がらない。
 事件を振り返って思うんだけど、誰も合理的判断なんかしていない。惣領かえではぼくへの好意のために死んで、西宮はるかは最後に感情で決断した。斎賀亮平はもともと理由などない男だったし、片岡警視正はただの部下思いのおっさんだった。
 そして日本の人達は、「こだまシステム」の廃止を決めた。これはもう明白に感情的な反応だ。
 合理的判断をしたのは、「こだまシステム」だけだった。
 ぼくだって結局、理屈ではなく感情で、世界を受け入れた。もう憎むのはやめにした。だってもう生きてしまっているもの。
「また来る。おまえは要監視対象だからな」
 片岡警視正は腰を上げた。病室を出る前に、一度だけ立ち止まった。
「戻るつもりなら、戻れるんだぞ。おまえが自分でどう思っているかは分からないが、おまえは適任だった」
 矛盾しているけれど、法には強制力が必要だ。文明社会では、暴力はたくみに姿を隠す。だけど、いなくなったわけじゃなくて、必ず暴力はすぐそばにある。法の番人である警察官には、最後の最後で暴力の行使をいとわない反社会性が、必要なのかもしれない。
 皮肉なことだけれど。


 病院は退屈なので、どうすればみんなが幸せになれるのかな、とぼくはずっと考えている。時間はいくらでもあるので。
 物質レベルで言えば、世界は、まだまだ満たされない国で満ち溢れている。
 飢えや貧困は、依然として世界を覆う不幸の中では多数派だ。
 だから、この一点においても、まだ、道のりは遠い。
 この問題を解決するのは、やっぱり平坦化なのだろう。
 経済活動というトラクターが世界を耕す。でこぼこをならして収穫に適した土壌に変えてゆく。
 取引されて、物は薄く広く拡散してゆく。必要な物を必要な人が買うという現象が、資源の最適配分をしてゆく。
 その次のレベル。
 社会性という点において、日本は貴重な教訓を残した。
 多様性を欠いたモラルは硬直する。世界の人が知る事になった。
 日本人は社会安全性の為に、ホロコーストを行ったと。
 「ホロコースト」。ギリシャ語で「全てを焼きつくす」という意味の言葉。
 「こだまシステム」は人間の監視を受けていなかったので、正確な数を把握することは出来ないのだけれど、「こだまシステム」によって自殺に追い込まれた犠牲者の数は、推定一万二千人だと言われている。
 とくにキリスト教圏の人々はショックを受けた。
 楽園の姿は、彼らが思っているのとはずいぶん違っていたということだ。
 単一の価値感は現実を規定しない。同語反復になってしまうからだ。自明と思われる不可侵の価値観であるほど危ない。
 例えば「人を殺してはいけない」。
 みんなそう思っている。でも、人を殺してはいけないことを、人を殺してはいけない理由にしてはいけない。どうしてかというと理由を見失ってしまうからだ。人を殺してはいけないのは、殺された人も殺した人と同じ一つの宇宙であり、悲しむ人がいて、この世に憎しみや後悔を生んでしまうからだ。というか理由なんて多すぎて説明しきれない。
 それが、大事なんだと思う。説明できちゃダメなんだ。そう思うと、少し楽になった。
 日本は、今後の十年間、移民を受け入れることが決まっている。段階的に希望者を審査して受け入れるようになっている。
 今回の事件が、その政府の決定を後押しした。
 価値観に新しい遺伝子を加えるのだ。社会学者は「価値観のダーウィニズム」と呼んでいる。多様化と適者生存。減り続ける人口にストップをかける為の政策でもある。
 たぶん、闘争もおこると思うし、摩擦や行き違いもあるだろう。
 でも、ぼくはそれでいいと思っている。楽園は心の中にありさえすればいいのだ。
 控えめなノックの音があった。
「どうぞ」
 覗き込むように顔を出したのは、西宮はるかだ。この頃、よく来てくれる。
「いいかしら?」
「いいよ、ここに座ってよ」
 西宮はるかは、ベッドの脇にある椅子に座った。
 少し髪が伸びたみたいだ。広がった髪が肩にかかりかけている。眼鏡もやめたのかな。きょうはクリーム色の長いセーターと、少し短めのチェックのスカートだった。おどおどしているのは緊張しているからだろうか? 最近はいつもそうだ。彼女はうわのそらの返事で会話が成立しない。
「どうしたの? またストレス?」
 西宮はるかは、耳を赤くして下を向いた。
「それは忘れて。あたし、ほんとにどうかしてたの」
 西宮はるかは、事件を生き残った。
 ぼくの考え過ぎで、けっきょく暗殺はされなかったのだ。最初の襲撃は研究室の総意ではなかったということだ。大暴れしてぼくは損をした。
 逮捕後の彼女は、取り調べを受け、国会で証言し、マスコミに叩かれ、ばらばらに食い荒らされた。
 同情的な意見もあったけれど、ホロコーストの産みの親、という論調は変わらなかった。
 彼女のブログは恐い物みたさで閲覧数をはね上げたけれど、フォロワーはいなくなった。共感者だと思われると、自分の社会価値が下がるからだ。悪意のあるコメントで炎上して、西宮はるかはネットでの情報発信をやめた。ネット社会的には死んだも同然だ。
 二百万人の魂の導師は、誰も見向きもしない殺人者になった。
 それから、二度の自殺未遂をして、いまは落ち着いている。
 人間はどんなことでも慣れてしまう。とくに希望がある時は。
「もしかして迷惑かしら? ひとりになりたい?」
「いいや、いてくれた方がいいよ。ひとりは退屈だからね」
 西宮はるかは、ぼくの感覚がない手を取って、両手で包んだ。なにも感じないけれど、視覚的に、その手は暖かい。
「あなたが声をかけてくれなければ、たぶん、わたしは死んでいた。そのほうが楽だったから。事件の後、助けてほしいと言ってくれたのはあなただけよ」
「いっただろ、簡単に楽にはさせないって」
「あなたはひどく、残酷なことをするのね」
 西宮ははるかは、ぼくの手をほほに押し当てた。
「なんだか夢を見てしまいそうよ」
 アポトーシスはほんらい、創造的な現象だ。創生の為の破壊。生命という名の不可解な現象に必要な、ひとつの機能だ。

      終り

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