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【APOPTOSIS】(3/12)R15注意

国民のプライバシーは監視下にあって―

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 国民のプライバシーは監視下にあって、なおかつプライバシーは保たれている。
 監視した記録を判定しているのは人工知能で、人間ではないからだ。人工知能は破廉恥だと感じたりしないし、おぞましい物を見ても吐きそうになったりしない。だから、人工知能は誰かのSEXの趣味に疑問符をつけたりしないし、家族の在り方について余計な助言をしようとしたりはしない。
 全てを見られているが、ただ見られているだけだ。なにも判断されていないので、プライバシーとしては実用上問題ない。
 ただし、なにかがあった時には、所定の法的手続きを取って、捜査官はその情報を閲覧することができる。
 ラボの棺桶――棺桶というのは通称で、本当の名前は転移用体感覚遮断室という。単なる音と光をさえぎる箱だ――の中で、ぼくは記録のひとつひとつに目を通した。ぼくのコンタクトレンズ型の副現実装置、それに合わせて拡張視覚野に、映像やテキストが飛び交う。いちおう訓練と認識デバイスのインプラントを受けているので、五倍速くらいまでの音声は認識が可能だ。自殺の様子を記録した調書。自分を殺そうとしている人間の映像。死の直前までのテキストのやりとり、通話。手にいれた書籍、参照した動画。
 自殺者に共通して言えるのは、みんな自分が好きじゃないということだ。
 ある男は、キャスティング工場の溶けた金属のプールに身を投げた。まるで自分を消してしまいたい、というように。
 ある女性は、自分が足元から肉片になるように調整し――安全装置の電子的カットも含めて――農耕機械で効果的に自分を耕した。
 まるで、自分に苦痛を与えないといけない、と心に決めているようだった。惣領かえでと同じだ。
 さまざまな手段ではあるが、自分の手を破壊する人も多い。自分の手を憎んでるみたいだ。むかしの映画を思い出す。手を支配され、主人公は自分を襲おうとする自分の手と闘う。最後は、切り落とすしかない。
 反社会性要素は単なるパラメータだ。
 ゲームで言えば、隠し設定のような物だ。ストーリーの進行には影響しないけれど、隠されたフラグの影響で、おもわぬイベントがおこったり、レアなアイテムが入手できたりする。
 たとえば自宅という密室で、ペットを虐待したり殺害したりすれば、人工知能は公安監視網に報告をする。
 それは反社会性要素ではなく、反社会行動だ。
 だが、メディアでペット殺害の動画を要求するのは犯罪ではない。人間の殺害動画でも同じだ。日本国民は情報にアクセスする権限を不当に奪われることは、絶対にない。
 ただそれは反社会性要素のポイントとして、誰にも知られずにカウントされる。
 明示されるのは危険水域にある時だけだ。
 たとえば今回のように本人が変死した場合も、捜査官に反社会性要素ログ閲覧の権利が生じる。
 当然、ぼくは自殺者の反社会性要素を確認した。人工知能がバランスを失いつつあると判断した要素。
 普通の人間には好奇心があって、グロテスクで不快感が生じるとわかっていても、暴力的なコンテンツがあれば、一度はちらりと見てみたいものだ。
 すこしくらいの反社会性要素は、健常な人間にとっては当たり前の必要悪だと言える。反社会性要素がまったくない方が異常なのだ。
 ましてや自殺をするのであれば、自殺の方法を検索するはずだ。
 普通であれば、いちばん苦しみや痛みのない方法を、身近なもので間に合う方法を探そうとする。
 問題は、自殺者たちが、こわいくらいに真っ白だったことだ。
 自殺の方法については検索してみてもいない。野蛮な動画も見ていない。性的なコンテンツも遠ざけている。日常の暴力によりもたらされた事件さえ、内容を確認しようとすらしていない。ログだけをみたら、自殺者はみんな楽園に住んでいるようだ。
 たとえば、目の前の血が滴るステーキをどうしても口にしたい時、もし、そのステーキを口にすることを許されていなかったら――ぼくであればステーキから目をそむける。見てしまえば欲望に負けてしまうかもしれない。できれば、他の部屋に持っていってくれた方がいい。口にすることが出来ないのであれば、視界から消して欲しいと思う。
 自殺者たちはまるで、ステーキを怖れているように見えた。


「彩斗、超過勤務だぞ? 大丈夫か?」
 開いた棺桶から上半身を起こしたぼくを見つけ、片岡洋二警視正は、突き出た腹を揺らしながら歩み寄ってきた。やや後退した頭髪、油っぽい短い髪。太り気味で清潔感がなく、スーツも寸足らずな感じに見えるが、実はこれは片岡警視正の擬態だ。西宮はるかがまとっているのと同じ職業的擬態。相手が軽く見て油断するように慎重に設計して、装備した擬態。
 新首都圏は、中部地方、かって愛知県とよばれたあたりに存在する。じつは首都圏という概念は、現在ではあまり意味がない。行政府という意味では、首都圏という言葉は有効だが、経済中心という意味では、もはや中心は存在しない。
 経済発展には、規模経済効果範囲いわゆるメガリージョンが必要だった。確かに真実だ。かって東京都や大阪府があったように物質経済の発展には絶対人口と技術集積が必要だった。
 でも、日本の経済は発展していないのだ。むしろ、かっての繁栄をしのぐスピードで縮小している。物質ベースで拡大し、金額ベースで縮小している。必要な技術にアクセスできれば、場所はどこでもいいのだ。
 結果として、経済中心は消失した。
 だから、ラボが一応首都圏に立地しているのは、たんなる偶然だ。重大事件は日本のどこで起こるか予想できない。その証拠にぼくたちの管轄は地域で分けられてはいない。管轄はあくまで事件の性質で決まっている。
 ラボは外観上、複層集合住宅、メゾネット型のアパートを装って建造されている。 
 住宅街で、まったく人付き合いのない、空白の領域。不審なアパートだといってもいいと思う。地域互助会には短期契約専門のアパートと報告し、迷惑をかけない限りは大目に見てもらうように申請してある。
 この施設は科学警察研究所の資産で、多次元機動捜査研究室に使用権が設定されている。もともとは法科学第二部から派生したセクションだ。諸外国の外圧により創設した、テロ行為に対する初動を研究する一部門。
 日本は平和で、管理社会では組織犯罪は生きづらい。だからテロ行為については、どんなに頑張ったって研究止まりだ。
 誰かがもっとましなことに使えと言って、ぼくらは刑事局の捜査手法試行科に組み入れられた。衝動犯罪抑止対応プログラム。
 いまは補助的に、通常犯罪の初動捜査も行う。
 イメージで言うと、ゴキブリを叩くのに斧を振り回している所を想像してもらっていい。熟練すれば駆除は可能だが、周囲への被害が大きすぎる。あまりうまいやり方じゃない。
 内部は大きな一つの空間で、空間の真ん中には棺桶が五つ並んでいる。転移用体感覚遮断室だ。棺桶を顔むようにして強化ガラスで囲まれた喫煙室のようなブースが配置されていて、調整を行うエンジニア系職員はブースの中でモニターを睨んでいる。
 部屋の隅にある箱は、休憩室とロッカーだ。コーヒーサーバーくらいはあるけどおざなりな物だ。デスクワークをしたければ休憩室に机が四つある。少しだけどジム設備もある。そう言えば惣領かえではジムトレーニングが大好きだった。
 ここには三十八人の拡張能力者がスタンバイしていて、八時間ずつのシフトで対応している。通常使用される棺桶は二個だけで、あとは予備になっている。通常のシフトでは連続八時間の待機と四十八時間の休養の繰り返しになる。今のぼくは本来なら休養のサイクルで、あと六時間たつと少なくとも二十四時間の休養を取る、という規定に抵触してしまう。
 でも問題ない、むかしの日本人はもっと働いていた。
 この時代の労働者は、みんなパートタイマーだ。労働時間は長くても五時間以内。それを八時間にまとめてインターバルを大きく取るのはよくあるシフトだが。少なくとも一日に十時間も働いたりすることはない。
 労働者という表現がもう適切じゃない。対価のために働いている人はいないからだ。労働をするのは、それが社会福祉に適合する行為であり、「尊敬」にかなう行為だからだ。「奉尽者」と言った方が適切かも。奉仕して尽力する人。
 この時代に、企業へ忠誠を誓う人はいない。
 忠誠は、自分が所属するコミュニティに捧げる。
 それは、地域ボランティアの団体だったり、歴史研究の愛好団体だったりする。
 西宮はるかの場合は、メンタルヘルスに人生を捧げる人達の団体に所属している。魂の発展と、浄化。でも、それにしては、悩んでいる人が平均値より多いように見える。皮肉なものだ。
 ぼくのコミュニティは、福祉向上のための公安活動?
 でも、コミュニティなんかない。
 ぼくは、組織の目的に適合しなければならないというような強迫観念は持っていないし、共感する仲間もいない。
 仕事を続けるのは、ぼく自身の義務感だ。だれの補強も必要ない。
「規定のシフトは消化しているよ。捜査の柔軟性を保つ為、捜査官は休養時間の五十パーセントを、自分が優先する事案の捜査に使用することができる。法律で認められた権利だ。なにか問題ある?」
「心配しているんだよ、彩斗。問題はないさ。これが同僚の自殺を目撃したストレスによる影響でなければな」
「上司みたいなことを」
「いや、上司なんだけどな」
 片岡洋二警視正は、残り少ない頭髪に指を突っ込んで、頭皮をがりがりとかいた。
 貴重な資源が、また何本か失われた。
「彼女はなんと?」
「殺すことは可能だと。殺したとは言わなかったよ」
「つまり、自信たっぷりなわけだ。立証できるものなら立証してごらんなさいと」
「どうかな? そんな感じでもなかったけど」
 となりの棺桶が開き、ぼくより少しだけ年下の男が起き上がった。四角いあご、表情の乏しい目。銀色の髪は染めているのだろう。拡張能力者は適応条件の性質上、年若い男女の方が多い。つまり技術が完成したのが最近のことだから。ぼくは二十八才だけど、オペレーターの中では長老組だ。
 この男は、斎賀亮平。シフトが重なることがないので、あまり面識はない。
 優秀だとは聞いている。ぼくがトレーニングした時の印象でも群を抜いていた。ただ、なにを考えているのかは分からない。表情が読めない、というか表情がない。たぶんは人並み外れて発達したあごの筋肉は、咀嚼のためだけに存在しているのだろう。
 経歴もしらない。自衛隊で働いたことがあると、誰かに聞いた。
 斎賀亮平は、ぼくと片岡警視正の存在に気づいたようだが、関心はないみたいで、目だけでジェスチャーゲームのような挨拶をして、ロッカールームへ向かった。着替えてレポートを仕上げ、提出したらシフトは終了だ。
 斎賀亮平の交代要員は、すでに棺桶の中で待機していた筈で、引き継ぎは完了している。
「あいつは、笑うことがあるのかな?」
 片岡警視正は、ぼくの方を見て言った。ぼくに聞かれても困る。
「さあ、少なくともぼくは見たことがないよ」
「まあ、優秀な男だから、べつにいいんだけどな……話を戻すんだが」
「うん、西宮はるかだね」
「クロだと思うか?」
「うん、予見させたいわけだ。捜査員の一方的主観を聞きたい?」
「そうだ、客観的証拠なしの独善的な私見をよこせ」
 片岡警視正は、のどかな容姿とはかけはなれた鋭い眼光で聞いた。
「クロだね。彼女は清潔すぎる。食べ物でも乗り物でも本物はクセがあるもんだろ。彼女は嘘をついているよ」
 片岡警視正は、垂れた目を和ませて、ぼくの肩を叩いた。こんど飲みにいこう、と陽気な声で言う。断る理由はない。いいですよ。片岡さんのおごりなら、とぼくは言う。
「それから、家に帰ったら『こだまちゃん』のカウンセリングを受けとけよ」
 『こだまちゃん』は警察庁の一押しのカウンセリングロボットだ。プログラムコードと少量の生態脳で出来た、アポなしで相談に乗ってくれるカウンセラー。警察関連のホームページならたいていリンクが張ってあるし、所轄の逮捕者には、なにはさておき『こだまちゃん』のカウンセリングをすすめるルールになっている。
 犯罪の予防。犯罪の目の早期発見と、解消。
 誰かを殺したくなったり、犯したくなった人、もっと重症だと、食べたくなったり、ばらばらに解体したくなった人、そういう人は『こだまちゃん』に相談すればいい。プライバシーは鉄壁。特別法により絶対に捜査情報として利用されることはない。
 懇切丁寧、親身になって相談に乗ってくれる人工知能。
 研究室の規定で仕方なく、何度か利用したことがある。『こだま』は基本インターフェースを落ち着いた外国人女性にモデリングされていて、クライエントの要望により、何種類かの仮面を付け替える事ができる。
 中年男性に聞いて欲しければ、中年男性になるし、若い女性がよければ、そういう姿をとることもできる。
 基本インターフェースである金髪の女性は、ぼくのカウンセラーである西宮はるかに雰囲気が似ている。たぶん、カウンセラーという人種はあんな感じなのだ。
 質問に対する質問、答えに対する質問。質問の答えに対する質問、の答えに対する質問。ふざけるなよ。
 カウンセラーの質問は、ぼくには心を切り刻まれているように感じる。たとえば指先からさくさくと。これは第一関節、次は第二関節、おや? この腱はどの筋肉につながっている腱でしょうね? ちょっと切り開いてみましょうか。
 薄っぺらな共感。疑似人格への共感で心を許すのは、ぼくには理解できない感情だ。
 ええ、向かいに住んでいる魅力的な女性の大臀筋が、どうしても食べてみたくて仕方ないんですね。わかります。わたしにもそういう時ありますから。
 すごく不愉快な体験だった。どこが、とははっきり言えないけれど。
「冗談はよしてよ。向かいで飼われているの犬に相談したほうがマシだ」
 ほんとうにそうだ。『こだまちゃん』が誰かをたすけられるのなら、きっとぼくだって誰か助けることができる。
 でも、現実はそうじゃないだろ。

      続く

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