深い山あいの村では、家は身を守る砦なのだと感じた。
緑青のふいた銅板葺きの屋根は長く伸びて外の世界を遠ざけているし、家自体は石くれを積んだ石垣の上に立っていて、まるで小さなお城のようなたたずまいだった。
母の実家である下斗米(しもとまい)の家は、まるで博物館にあるような古民家の風情を残していた。
ぐるりを廊下で囲まれた和室はあまり光が届かないけれど、ひんやりとしているようでも、やはり夏が暑いことにかわりはない。火の入らない囲炉裏ばたでラムネをラッパ飲みしているゆなねぇは、肌の色が白いこともあって、座敷童みたいな人外の存在に見えて、どきっとする。
ゆなねぇは、髪が短くて手足が細くて、まるで男の子みたいだった。当時のぼくは小学五年生だったので、たぶん、ゆなねぇは、まだ中学生になったばかりだったのだと思う。
いつも白いTシャツとショートパンツであぐらをかいている姿は、まるっきり女らしさとはかけ離れていたけれど、長いまつげや真っ白な太ももは、乱暴な口をきいても華奢な体つきの少女であることを、はっきりとぼくの五感に知らせていた。膨らみかけた胸や丸みをおびた肩も、少年のシルエットとは全然違う。まだ、子供だったぼくにでもわかった。これは自分たちとは違う生き物だと。
いま空けたばかりのラムネの瓶をまじまじと眺めているゆなねぇは、いよいよ妖怪じみていて声をかけるのが少しためらわれた。ぼくの視線に気づいたゆなねぇは、頬をすこし赤くして照れ隠しのように乱暴な声を上げる。
「少年! なる!」
なる、というのはぼくの名前だ。片岡奈瑠。もっともゆなねぇは名前で呼ぶより少年!とよぶ時の方が多かった。
「ゆなねぇ、それなに?」
聞かなくても分かっているのだけれど、いちおう聞いてみた。水色のふりふりがついた小人の帽子のような物体はブラジャーとかいう名前の女性用下着だ。問題はどうして畳の上に落ちているのかということだ。
「知らないの? かぶってみる?」
「いや、かぶらないよ。ぼくをどんなキャラにしたいの? ぼくが聞いたのは、なんでそこに落ちてるのかってこと」
「あついからね。おたがいの為に距離を置くことにした」
ゆなねぇは、Tシャツの胸元を人差し指で引っ張って、うちわで風を送っていた。白い肌にうっすらと汗の玉が浮いていた。
「見えてるよ」
「なにが?」
「さきっちょの方が」
「ピンクの?」
「色は知らないけど!」
ぼくは怒ったような声を出した。
「やらしいんだ」
ゆなねぇはからかうように言った。すみませんねやらしくて。なにしろ見たことないんで。
当時のぼくは、どうしてだかゆなねぇの様子に苛々していた。
「少年は、女の子の胸とか、興味あるの?」
「……不愉快な質問だね。とくに分かってて聞いているところが。なにそれ、言葉責めなの?」
ゆなねぇはけらけらと笑った。ひとしきり笑ってから、ブラジャーを鷲づかみにして立ち上がる。
「少年! 泳ぐぞ」
「突然だ。前置きがないね」
「うるさい」
ゆなねぇはぼくの腕をとって、無理やり引きずってゆく。柔らかな膨らみには白いコットン生地が汗で張りついていて、腕に伝わるその感触は、なにか苦しいような気分を、ぼくに感じさせる。
「やめてよ! いやだって言ってるだろ!」
手を振りほどくと、ゆなねぇは傷ついた顔で、頭ひとつ小さいぼくを見下ろした。しょんぼりとした様子は怒られた犬みたいだ。
「少年は、わたしみたいなのはきらいか?」
ゆなねぇはずるい。知っているはずだった。年になんどかの会える時を、ぼくが、どんなに待ち遠しく思っているか。
「べつに嫌いじゃないよ。ちょっとうっとうしいけど。嫌いになるほどじゃない」
ゆなねぇは唇をかんだまま、にっと笑って見せた。いたずらっ子みたいに。
「うれしいよ、こんな友達もできないような山奥で、せっかくやって来たいとこが口もきいてくれなかったら、もう死んだほうがマシだと思うしかないからな」
「よろこんでもらえて、ぼくもうれしいよ」
そっけなく言ったつもりだけれど、ゆなねぇはこぼれるような笑顔をみせて、ぼくの手を握った。
続く