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【おつとめ】(7/8)

ゆなねぇは、またラムネのビンを眺めていた―

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 ゆなねぇは、またラムネのビンを眺めていた。
「ただのビー玉だよ。ラムネの蓋に使うのは真球度が高くて価値の高い玉だ」
「少年、この玉は他の玉より価値が高いのに、一生ビンから出ることはないのかな」
 ゆなねぇがラムネのビンを外の光にかざすと、からり、と澄んだ音がした。
「回収されて、鋳潰されるからね。たかがビー玉だよ」
「たかが、ビー玉だよね。少年の言うとおりだ」
 みんな農作業で出かけていて、屋敷には誰もいなかった。
 ゆなねぇはくたびれたパジャマのままで元気がなくて、カブトムシを採りにいくなんて約束は憶えてないみたいだった。けだるそうにしているので、体も無理をしているのかもしれない。ゆなねぇは一晩中、悲鳴をあげていた。
 ぼくは、ラムネのビンを取り上げて、ゆなねぇが頬杖をついているちゃぶ台に腰をおろした。そのまま、顔をあげさせてキスをした。唇が触れるだけのキスだ。
 ゆなねぇは驚いていた。あんな約束をしても、ほんとうはぼくの事を子供だと思っていたのだ。
「……見たの?」
 ぼくは、そんな顔をしていたみたいだ。悲しそうな顔をしていたのだろうか? それとも怒った顔をしていたのだろうか?
「きらいになったでしょ。ごはんと学校のためにああいうことをするの。もっと小さい頃はこれが当たり前で、みんなしてるんだと思ってた。笑ってよ少年」
「ぼくの名前はなるだ。笑わないよ」
「でも、もう来てくれないよね」
「どうして、そう思うの?」
「普通はそうなの。男の人は汚いって思うんだよ。なんどか失敗したから、わたし知ってるんだ」
 ぼくはもう一度、ゆなねぇの唇をふさいだ。今度はもう少し長い間。
「もう、帰って。もう来なくていい」
 ゆなねぇはぼくの体を押し戻した。びっくりするくらい冷えた声で言った。
「もう、十分だよ。なるまでおかしくなっちゃう。こんなの普通じゃないよ」
「普通って、どんなことを言うの?」
「たぶん、誰も誰かを利用しないことを、普通っていうんだよ」
「じゃあ、ぼくは普通だ」
 ゆなねぇは、くしゃくしゃっと顔を歪めた。
「やっぱり、わたしは普通じゃないよ」
 ゆなねぇは立ち上がって部屋に戻っていった。ふすまの端をノックをしたけれど、あっちへいって、と普通の声で返事があっただけだった。


 ゆなねぇが電話したんだと思う。翌日、母が古びたワゴン車で迎えに来た。
 荷物をまとめなさい、と母は事務的に言った。荷物を作る間に、母は挨拶をすませていた。まるで一刻も早くここを立ち去りたいというように。
 もしかしたら、母も座敷牢で『おつとめ』をしたのかもしれない。座敷牢を作ったのは頭がおかしい人だけど、そこに閉じ込められたのはたぶん、べつの人間だ。今みたいに、誰かが犠牲になって、それをずっと何百年も繰り返してきたのだ。
 今日はみんな忙しいようで、見送りは琴音おばさんだけだった。母はわざとそういう時間を狙ってやって来たのだ。
「また来てね、こんどはお正月にね」
 と言った琴音おばさんに、母はそっけなく答えた。
「もう来ないわ。わかってるでしょ」
 琴音おばさんは、母の視線には怯まず、にんまりと笑った。
「そりがあわないわね、わたしたち」
 母は乱暴に車を出した。砂利が跳ねてガラスの割れる音が聞こえたけれど、母は車を止めなかった。
 ゆなねぇがどこかで見送ってないか姿を探したけれど、道路のまわりは濃厚な緑が静かに息をしているだけだった。
「いないわよ。あの子は『おつとめ』の最中。見たんでしょ。暦では儀式の日が三日続くわ」
 やっぱり母さんは、村でなにが起こっているのかを知っていた。
 いま、叔父さんたちの手がゆなねぇの体を這っているかと思うと、ぼくは叫びだしそうになった。この気持ちをかきむしることが出来たらいいと思ったけれど、形がないものをどうこうすることはできない。できるのはただ金魚みたいに、ぱくぱくと息をすることだけだ。
 ゆなねぇのこと以外は、考えることができなかった。
 山を降りる道路は幅広く整備されているけれど、曲がりくねっているので、ぼくはドアのハンドルにつかまって体を支えた。
 道路にはかげろうが立っているのに、車の中はエアコンが効いていてまるで別世界だった。フロントガラスからもれた光だけが、腕にちりちりとして外の様子を伝えてきた。
 ツーリングのバイクが何台も横を追い抜いていった。夏休みな感じだった。みんな仕事を忘れて一息をつく季節なのだ。
「ばかね、祟りがあるって言ったでしょ」
 山を中ほどまで降りてから、母は言った。
「ほっとけないよ。母さん。ゆなねぇはあれでいいの?」
「ほら、呪われてる」
 母はため息をついた。
「うちは母子家庭よ。余裕なんてないの。なにができるっていうの? あんたが働いて優奈ちゃんにご飯を食べさせてあげる? 村中の援助があるんだから、大きくなったら大学にもいけるかしれない。でも、うちに来たら高校にもいけないわ。考えて母さんに教えてよ。どっちがましなの?」
「……冬には一緒に話を」
「冬はないわ。もう二度とあの家にはやらない。忘れなさい」
「そんな」
 それは裏切りだ。ぼくはゆなねぇと約束をした。
 このままにするなんてできない。
 ゆなねぇは一人きりなのだ。
 それきり母は黙りこんだ。
 ぼくは子供であることを思い知らされた。大人の都合で生き延びるしかない。ゆなねぇが『おつとめ』をして、学校に行かせてもらうように、ぼくにだって自由なんかないのだ。
「もう、本人に確認したのよ。家を出るつもりはないって。嫌だけど感謝はしてるって言ってた。大学には行きたいってさ。進学せてくれるって約束もしてる。それは取引なの。子供の出る幕じゃないのよ」
 母は吐き捨てるように言った。
「もう来るなとも言ってた。もう見られたくない。会いたくないって」
「うそだ」
「うそじゃないわ。帰ったら電話してみたら。おかあさん本当はね、引き取る時の算段もしてたの。なんとかなるかなって思ってた」
 母は運転しながら舌打ちをした。
「ばか。見なければよかったのよ。台無しにしたのはあんたよ。なる」
 ゆなねぇはぼくに会いたくないって言った。そのことが頭をぐるぐると回った。
 でも約束は? と心の中でぼくは言った。
 なるのせいだよ、と心の中のゆなねぇは言った。ゆなねぇの幻影は覚悟を決めているようで泣いてはいなかったけれど、後ろ手を組んで、さみしげに自分のつま先を見ていた。

      続く

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