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【おつとめ】(3/8)

今年、この村にやってきて、いちばん最初に―

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 今年、この村にやってきて、いちばん最初に目に入ったのは、大きな納屋だった。
 屋根はいぶし銀のかわらで葺かれていた。いまどきの安っぽい建売よりは立派すぎるくらいの建物だった。白い漆喰で塗られた壁や、黒く塗られた太い柱が、不吉な感じで目に映った。視線を奪われずにはいられなかった。
 瓦は厚みがあって、立派なつくりをしていて、日差しを浴びてかげろうが立ちのぼっている。
 どんな構造になっているのか確認しようと近づくと、母が乱暴にぼくの腕をとって引き戻した。
「どうしたの?」
「この建物に近付いちゃだめよ」
「どうして?」
「……縁起がよくないからよ。この建物は半分が座敷牢なの」
「座敷牢って、閉じ込めるやつ?」
「そうよ」
「どうして、そんなものが?」
「昔ね、頭がおかしくなった人がいたのよ」
「だれ?」
「ずっと昔のひとよ」
「いまは関係ないよね」
 納屋の入り口は、今は新しいサッシがはまっていて、エアコンがついているのも見えて、普通の家とかわりなかった。
「誰か、住んでるの?」
 母はため息をついた。
「祟られても知らないわよ」
 母は質問には答えてくれなかった。


 囲炉裏のある居間に、折りたたみ式のちゃぶ台を並べるのが、夕食のしきたりのようだった。天井は小屋組みがむき出しで、萱葺きのときはここで煮炊きをしていたのだろう、大きな梁はすすで汚れて真っ黒だった。
 村の食事は、じつはとてもおいしい。
 ご飯には、ニワトリをぶつ切りにして甘辛く煮付けた汁がかかっていて、薄く層をつくった脂は甘く、牛蒡や人参は肉汁をたっぷりと吸っていた。それだけでもご飯を何杯もお代わりできそうだけれど、おかずは鳥の刺身や、鉄板で炒りつけたイノシシ肉の胡椒焼きがあって、新鮮なきゅうりやトマトは、スライスしただけで皿に盛り付けられていた。
 家の人は、それにポン酢をかけて食べる。ぼくはマヨネーズを出してもらった。
 そういえば、昨日軒下に、しめたニワトリが吊るされていたのを思い出した。
「きょうは、ぼんはなにをしてたのかの」
 祖父は、まだおじいさんと言うほどではなくて、都会なら現役で働いているくらいの年だ。がっしりとした体は農作業で鍛えられていて、日焼けした肌には木目のように皺が刻まれていた。
「裏で泳いだよ。冷たくて気持ちよかった」
「あそこは足がとわんからの。河童に引っ張られんようにな」
「河童?」
 祖母は、ほほと笑った。ちんまりと背中を丸めた祖母は、祖父よりも年をとって見える。
 琴音おばさんは、呆れたように言った。
「信じちゃダメよ。おとうさんは子供の頃に見たって言うの。たぶん、忍び込んだ子供が水遊びをしていたのよ」
「なるくんは虫はきらいかなぁ」
 壮平おじさんは、薄くなった頭をつるんと撫でて言った。母とは年が離れていて、祖父と兄弟だといっても納得してしまいそうな風貌だ。祖父と違って叔父さんは肉付きがいい。エアコンが効いているのに、一人で汗をかいていた。
「いや、嫌いじゃないですけど」
「優奈ちゃん、虫取りを教えてあげんかね」
 家族の前のゆなねぇは、口数が少なくて、背筋を伸ばしていて、まるでお人形のようだった。食事の時には、ちゃんとワンピースやブラウスに着替えていた。理由はわからないけれど、きちんとしているゆなねぇは、とても綺麗で、ぼくなんかは相手にしてくれないような、大人の雰囲気があった。
「わかりました。なるくんカブトムシ取ったことある?]
 なんだか気味が悪い。さっきまで少年って呼ばれてたのに、今は『くん』づけだ。
「ないよ。街灯の下に落ちてるのを拾ったことはあるけど」
「じゃあ、教えてあげる。あしたは早起きね」
 その話はそれで終わりだった。
 ちょっと沈黙が続いたので、ぼくは前から気になっていた質問を口にしてみた。
「ゆなねぇのお母さんは、どんな人だったの?」
 食卓の空気が凍った。
 祖父母はそっぽを向いたし、叔父さん夫婦は床を見つめていた。ゆなねぇはなぜだか薄く笑った。
「優奈ちゃんは憶えておらんかのう」
「なにしろちっちゃかったからなぁ」
「憶えてませんよ、きっと」
 憶えてないほうがいいみたいだ。ゆなねぇは憶えているとも憶えていないとも言わず、作った笑みを仮面みたいにまとっていた。
「なるくん、お代わりは?」
 琴音おばさんが言って、微妙な空気はどこかへ消え去った。おばさんは言った。
「優奈ちゃんは、お母さんによく似てきたわ。とても綺麗で、天真爛漫な人だったのよ。みんなから慕われて、ちょっと妬けたわね」
 ゆなねぇは、ちらりと琴音おばさんに視線をはしらせた。下を向いたまま、ゆなねぇは冷えた擦れ声で言った。
「……それはわたしのせいじゃありません」
 どういう意味かはわからなかった。
「ごちそうさま」
 ゆなねぇは自分の食器を持って席を立った。


 夜の田舎は、ゲームくらいしかすることがない。
 与えられた部屋は、天井が低い三畳くらいの和室で、せまいのに掃きだし窓がいっぱいに取られていて、エアコンもついていた。母が使っていた部屋なのだと、壮平おじさんが教えてくれた。
 姉貴は大事にされてたからなぁ。
 そう言う壮平おじさんは、首をめぐらして部屋を眺めた。すこしうらやましそうにしていた。
 こんこん、と窓を叩く音がした。
 立ち上がって窓の外をうかがうと、ゆなねぇが窓を覗きこんでいた。ゆなねぇは可愛らしい浴衣を着ていた。他に眺める人はいないから、ぼくのために着てくれたのだろう。ちょっとうれしかった。
「なんなの、いったい」
「でてこいよ少年。いいもの見せてあげるから」
「いいもの?」
「なんで疑いの顔なの? 変な意味じゃないよ。そんなもの後でいくらでも見せてあげるから」
 ゆなねぇはどきっとするようなことを言った。
「靴が……」
 ゆなねぇは古びたビーチサンダルを差し出した。 
「用意がいいね」
「半年、待ったからね」
「……」
 返事に困っていると、ゆなねぇは顔を赤くしてそっぽを向いた。
「そういう意味じゃないよ。退屈なんだよ、この村は」
「だよね。窓から出るの?」
「そう、静かにね」
 ゆなねぇはぼくがサンダルを履き終わるのもまたずに、慌しく手を引いた。
「なに、なんだよ」
「秘密。だまってついてこい少年」

      続く

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