それから何年かが過ぎて、ぼくは念願の大人になった。正確にはまだ社会人ではなくて、親のすねをかじる大学生だけど、学費は事後清算の奨学金でまかなっているし、生活費の半分は自分でバイトで稼いでいる。
少なくとも、なにをどうするかはぼくの自由だ。
あらかじめ手紙を出しておいた。
だから迷惑だったら里帰りはしていないはずだ。
もし居たら約束を果たすということだし、居なければ、もうなにもかも忘れて欲しいということだ。
入学までに免許はとったので、母の知り合いに借りたぼろっちい軽自動車で、ぼくは山道を登った。
辿り着くと、母の実家は様子が少し変わっていた。
砂利の上に車をとめて、場所が間違いないか確認をした。
建物は二階建てで今時のハウスメーカー製に変わっているし、納屋はどこにもなかった。
「焼けたのよ。誰かが火を放ったの。普通じゃないと思う人は村にもいたの」
声に振り返ると、琴音おばさんが麦わら帽を押さえて立っていた。
おばさんは当時よりむしろ若返っているように見えた。ゆなねぇは大学の二年生なので、もう長く家を空けている。いまの『おつとめ』は誰がしているのだろう。なんとなくそうなんだろうなと思う。おばさんは女としての自信にあふれていた。
「立派になったわねぇ。『おつとめ』に参加してくれればいいのに」
「ぼくは信仰がないんで……」
「冗談よ。こんなおばさん嫌でしょ」
「あの……」
「わかってるわ。神社知ってるでしょ。行ってみたら」
おばさんは、青い水田の向こうに見える崩れかけた鳥居を指差した。いつか、ゆなねぇと街をみた三間坂神社のことだった。
石段は草が生えているし、あちこちが緩んでいて、すでに崩れているところもあった。油断すると転落しかねない。蜘蛛の巣にも閉口した。いつの間にかぼくは昆虫のたぐいが苦手になっていた。死骸も生きてるのもかんべんだ。
日差しでくらくらする。水を持って来るべきだった。
空気が涼やかなのが、せめてもの救いだった。
深い緑は参道を侵食しはじめていて、垂れかかるどころか、地面に這うように枝を伸ばしている部分もあった。
見通しが悪いので、石段は永久に続くかと思われた。
枝をくぐって、崩れた石段をのりこえ、顔にくっついた蜘蛛の巣をはらい、ぼくは先に進んだ。
もう少しだ、もう少しでなにもかも決着がつく。
ぼくは、夢中になって石段を登った。
突然、トンネルを抜けたように視界が開けて、山頂の敷地が目の前に広がった。
神社は荒れて、草が生え放題だった。
石畳にも草が生えていて、まばらな感じの草の間に、女の人が立っていた。
その人は、いまはショートパンツではなく女らしいスカートを身に着けていて、薄い布のブラウスや肩掛けを重ね着していた。自然素材でまとめた衣服は、大人しく清楚な印象だった。
手足は少年のように細長くて、ふくらみの薄い胸は昔と変わらなかったけれど、いまは髪を伸ばしていて、まっすぐな髪が、山頂の雲をはらってゆく風に、揺れていた。
雲の影が、山頂に落ちて流れていった。
ゆなねぇは信じられないというように、指先で口を押さえた。
「や、ひさしぶり」
そう言うと、ゆなねぇの見開いた目に、涙がたまってゆくのが見えた。
約束を待っていたのは、ぼくだけじゃなかったみたいだ。
終り